2008年6月26日木曜日

オーロラ・アンダーグラウンドvol3

イノヤマランドは開場と同時に演奏をはじめた。
気がついていないお客さんがいたりするのが、またなんともいい。
わいわいとする中、家具のように演奏するふたり。
続いてパイティティ。
とても軽やかな楽しい曲でうきうき。
パイクも歌ってくてありがとう。ヨーリー。
休憩の後は、ゴジラ伝説。
すさまじい音圧で、怒濤の行軍。
これもっと長いのききたいのは
ぼくだけではないだろう。
小川美潮のおかげで、ほんわかと脱力のインプロに
ヒカシューも全開。
美潮乱入パイクもへんてこ。
なかなかいいライブの日だった。





2008年6月25日水曜日

デジタルなフランケン

デジタルなフランケンの昨年暮れSPCでの映像を
My spaceにアップした。

Digital Frankenstein

2008年6月19日木曜日

JASRACと公取委

JASRACの総会で永六輔さんが、
「公正取引委員会を甘く見ないほうがいいですよ」
と進言した。
「尺貫法廃止の時には、尺八って名前まで使えなくなるところだった」し、
永さんの好きな小田原の栗せんべいが、栗が入ってないからだめだってことで
製造中止になったんだそうだ。
永さんは、実際に公取委に行って、
「じゃあ、キリンビールにキリンは入ってますか?
うぐいす餅にうぐいすは入ってますか?
ブルドックソースにブルドッグは入ってますか?」と
訊いたんだけど、不当表示であると頑として譲らなかったそうだ。
日本の文化を殺すのはこういう公取委のような杓子定規の
義理も人情もない奴らだね。
そんな姑息なことで小さなこつこつと商売しているじいさんから仕事をとりあげて
なにかんがえてんのかね。
それがまあ、JASRACに対して包括契約による放送使用料の独占という嫌疑がかけられた。
だいたい包括使用料は、放送局がやってることで、
JASRACは全局報告のぞんでいるんだから
何をか言わんやだよ。
ぼくの友だちは、NON メンバーだから、自分でいちいち請求していて
ちゃんともらってるけどね。
これはJASRACにまったく落ち度がないし、新聞もばかな書きかたしたなぁって思う。
JAASRACのもっともだめなとこは、
いまだに古賀財団に大金を貸与しているとこなんだけどな。
ぼくはこれを司法が和解勧告したことの方が不透明だと思う。

2008年6月15日日曜日

テルミンのあるサロン

賃貸人格の招きで高円寺円盤のテルミンイベントで演奏をした。
マニアばかりが集まる小空間というのは息苦しいもので、だいたい至近距離はなはだしい。
もっともこの空間はそれが売りなのだ。
くりてつ氏と大野氏による世界のテルミン大集合では、
たくさんの割と廉価なテルミンを見ることができた。
しかし何回もやっているテルミンイベントにしては、
電源をクリーンにしてなかったりするのは落ち度だろう。
テルミンは電流に乗ってやってくるさまざまなものの
影響を受けやすい。
そればかりか人が近くにいるだけで演奏もできなくなる。
賃貸人格こと金子由香さんは、天性のパフォーマーで、
あの突然ほったらかし奏法には、危険なにおいがある。
テルミンに関しては、いいたいこともある。
たとえば、
ぼくはテルミンをする人たちがあのOKサイン奏法をしていると
かっこわるぅと思ってしまう、とか。
また何故いつもださい普通の曲ばかり弾くのかとか。
もちろんぼくだってメロディーらしいものは弾くけれど、
既成のものはやらない。
せっかくのサロンなので、
ぼくはいつもやっていることのいくつかを盛り込んで演奏するようつとめた。

2008年6月8日日曜日

トーマス、美知依と湯河原で。



前の日から、ホールをお借りして、トーマス、八木美知依とリハーサル。
録音もDSDにしてみる。
今日は、あいにくの雨の中、ここちよいコンサート。
9月にまたきたいとトーマス。

2008年6月5日木曜日

著作権の毛布

放送で使われた著作権の計算の仕方にブランケットというのがある。
あまりに数が多いアメリカで考えられた方式だが、
日本でも30年ほど前から採用している。
しかしこの方式はかなりのざるで、実際に使われた曲にお金が支払われないことが多い。
事実、ヒカシューの曲がたくさんテレビで流れてもまったくといっていいほど入ったことがない。
さていよいよ放送局では、全量報告がはじまるそうで、はたして全量報告でどれほど精度があがるのか。
せんだって、JASRACに突然公正取引委員会が調査に入ったのは、たしか放送局のブランケット方式を押し付けているために
他社の参入を阻止しているという理由だった。タクシー接待を受けているような奴に公正取引調査ができるのか
楽しみなことだが、安いブランケット存続してきたのは放送局の方であり、むしろ利権にまみれた放送局が持っている音楽出版社の存在である。なせこれにメスをいれない?

2008年6月3日火曜日

サウンドアナトミア出版記念ライブ

新宿ピットイン、
北里義之氏のリクエストで組まれたプログラムは、
まず、大友良英(turn table)、中村としまる((no-input mixingboard)
巻上公一(voice,theremin)のトリオ。
ぼくはFreq Boxを使って、テルミンの音程以外にもうひとつのメロディーをフットペダルで演奏した。中村としまるとの演奏ははじめてだったが、mixingboardの音は、電気信号の演奏と言えよう。
大友良英は、ターンテーブルの針音までをも演奏にしていた。
一種不自由さを自由にした2人を両脇に、近所を散歩するような演奏をした。
音の方は、吉増剛造を待つ前から、ぼくらは冥界入りしていたようだった。
続いてぼくはSachiko MとのDUO。
長いつき合いだがDUOをするのは初めてだった。
サイン波を演奏するというのは一種の冗談のようにも思えるが
ちょっとした本気なのである。
それはSachiko Mが、ニュースやナレーションのサンプリングから出発してたどり着いた目から鱗の方法である。
ぼくはそのサイン波により決定された間断の絨毯の上で、
綱渡りをしたり、のんびりしたり、大騒ぎをしたりして、
マンションの別の階にいる人のようになっていた。
しかし、
大友がさっちゃんと会ったのも、
ぼくが大友に「ピクニックコンダクター」という芝居の音楽と演奏を依頼したのが
ふたりの出会いだったのだから、感慨深いものがある。なんと1991年のことである。
あの芝居の時に、ぼくはスピーカーを客席のさまざまな場所に仕込むことを考え、
音響の実験をしていたが、さらにその発展形を大友良英はその後やるようになったり、
あれは近くの未来だったという気がしないでもない。
休憩をはさんで、
吉増剛造の「死人」の朗読。
背広に手製の紙のマスクで口を隠し、洗濯物干しに死んだ物を吊るし
死んだ言葉に、息を吹き込んでいた。
それは吉田アミの微音のヴォイスを意識して
かすれた倍音でよりそっていた。
大友良英は、ギターにカリンバを乗せたり
演奏にやっきだった。それはかなりよくできていて
その巧みな音の構成は、観客に納得を与えていた。
だが、吉増剛造の表現は納得を超える物であり、
その声と内容を大友が感じていたら、もう少し違う物になっていたかもしれないが、
それでもあまりある実に刺激的なものだった。
その後の北里義之、大谷能生よる対談の中で、
大谷能生は、吉増剛造の朗読というものは、
ありていのものだ(テキストリーディングには即興性はない・・)というようことを言っていたが、
あれはどういうつもりなのだろうか。いったい何を聴いていたのか。
(何かを語ろうとして、観賞が安易な定型に左右されたのか)
吉増剛造ほどに詩そのものを音に直結させている詩人を
ぼくは他に知らない。
対談のはじめ、今日の演奏のことをなにやら言っていたらしいが、
飴屋くんの子どもと遊んでいたので聞き逃してしまった。
しかし、おしゃべり運びがヘタな対談だった。
もちろん、うますぎないからいいという面もあるのだが・・。
時間感覚、ジェンダー、空間、呼吸、触覚
ふたりの思考はその言葉によって最前起こったことをプロトタイプに押し込めはしなかったか。
北里義之に、ライブの現場に3年ぶりに来た喜びが溢れていて
なんともほほ笑ましかった。

終演は11時半、たっぷりでもまだ足りない感じのイベントだった。

2008年6月2日月曜日

黒鍵が平らになってしゃしゃり出ていること。

湯河原檜チャリティーホールでの菅野邦彦さんの
定例ピアノジャズコンサート
なんだけどそのピアノの鍵盤がブルーで
しかも全部平ら。黒鍵が平らになってしゃしゃり出ている
その分白鍵も狭くなっているという菅野さんスペシャル。
弾きやすくするために考案したものだろうけど
新しい鍵盤は慣れるのに時間がかかりそうな気もする。
http://e-nekot.com/hoccuspoccus/profile.htm
そこに来ていたお客さんの中に
先日の芸王グランプリ関東地区チャンピオンのto R Mansionの人が
いたのには驚いた。
向こうも驚いていたけど・・

さて、
部屋でwebを覗くと唐沢俊一の雑学を笑うブログがあり
どうも唐沢氏が
ぼくの歌っているマヴォの歌と
ボーイスカウトソングの出自を語っている。
このネタどこで唐沢氏は仕入れたんだろうか。
ブログの主は、そんな馬鹿な共通性はないと看破しているが、
実はこれ本当なんだけど、
こういうことは俄には信じられないんだろう。
まあ、親切にしなくてもいいだろう。