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2011年3月14日月曜日

デクスターの空のタクシーでクズルへ



クラスノヤルスクからDEXTER社の空のタクシーという飛行機に乗った。
8人乗りで小さいから、
チェックインで荷物は手荷物合わせて15キロまで
と言われてかなり焦った。
今回、東関東大地震の翌日、午後やっと動きだした電車に乗って、
しかも千葉から成田までは、一度満員で乗れず、
30分後の電車もぎゅーぎゅーで、
成田からは機転利かせて、京成に乗り換えてと、
相当な困難で来たのに、
ここで乗れなきゃ、ほんとがっかりだった。
暫し待つこと1時間。結局乗客4人なのでOKということになって、
なかなか乗り心地のいいけっこう新しめの飛行機に乗った。

空からの眺めは最高。
凍結したエニセイ川やサヤンの峰の白さが眩しかった。
クズルの町が見えてきた時は、とても感動した。

2010年9月21日火曜日

アルタイの町にトリオのポスター

ノボシビルスクから
アルタイ共和国の首都ゴルノアルタイスクまで車で9時間。
ノボシビルスクの通関が厳しくて長蛇だったため
着いたのはもう夜。

一夜明けて、新しくできあがったドラマシアターに行くと
われわれのトリオАЯ(アヤ)のポスター、しかもかなり大きい。



UN(国連)の事務所に行き、友人に会いハワイコナの珈琲をご馳走になる。
バニラの香りのするフレーバー珈琲は、いまひとつアルタイ気分に似合わない。
お昼からドラマシアターで記者会見が行われた。
アルタイテレビの取材も受け、
アルタイ日本文化センター<キン>を立ち上げたエドワードさんにも対面。
<キン>は、金のことかと思ったが、どうやらアルタイ語で「へそ」という意味とのこと。
キリル文字で書くとКИНだ。



夕方、グレゴリーという人を乗せて少し郊外へ。
アルジャンスーという湧水で有名な土産物屋が軒を連ねるところを見学。
口琴の看板が目に入った。

そこからもうしばらく東へ行くとチェマルという村がある。
ここにグレゴリーの友だちでユダヤ人のカオリというアーティストが住んでいて、
ユニークな形のオカリナを作っている。
ボロットは彼女の作品をステージで使っていて、そのフォルムには見覚えがあった。
シャーマン風の太鼓もあり、
マサが叩いて「いいなぁ、でも重い」
「いくらなんだろうね」
マサの妻である香ちゃんがカオリの写真を撮る。
「イスラエルの歌謡曲に昔ナオミの夢ってのがあったよねー」
「あっちの名前かな、ユダヤの」
オカリナも含めけっこういい値段がしたので、ひとつも買わずに
グレゴリーさんの家に。
部屋にあった普通のコンガを指して、
「これ使ってもいいよ」
マサは困惑。「シャーマンの太鼓はほしいけど、コンガはいらないな」

2010年9月20日月曜日

【АЯツアー】 ノボシビルスクに到着



はじめてのАЯアルタイツアーにわくわくしていた。
今年の春、アルタイ共和国を代表する歌手ボロット・バイルシェフを日本に呼んだ際、
アルタイに日本文化センターを作る話があり、そのオープニングに合わせて、
АЯの公演をしようとという話があった。
だいたいの日程を決め、飛行機の予約に入り、
8月の上旬に北京経由のシベリア航空のチケットを購入した。
ところが、
8月の下旬になって、ボロットの代理チャガットから今度のツアーをキャンセルしたいとメールがあった。
ボロットは病院にいる。文化大臣との交渉にも失敗したとあった。
出発1ヶ月を切っていた。
ぼくが購入した航空券は、払い戻し不可のもの。
このまま無駄にするのもったいない。
コンサートはなくてもいいから、とにかくアルタイに行くので招待状を出して欲しいと返信した。
そして、なんとかビザを取得し、北京経由で無事ノボシビルスクに到着したのである。

2010年8月20日金曜日

イワンチャイというものの正体を探る


トゥバの南シジムの方に行って知ったお茶。
イワンチャイ Иван Чай。
ロシア語の辞書で引くとヤナギランと出てくるのだけど
ぼくが飲んだのは、明らかに白い花で、ヤナギランのような赤味がないものだった。

Googleで検索すると「ロシアの飲み物」というページがあった。
このページの作者もヤナギランではないと思っているらしく、
ノコギリ草に似ていると書いている。

またこの引用も興味深い。

「イワンチャイにロシア産白色粘土とかを混ぜた飲み物で、テイン(カフェイン)を含まず身体にも歯にも良いとされた薬用ハーブティーがロシアの重要輸出品目のひとつだった時代があったが、17世紀以降、イギリスが紅茶市場を独占する過程でこの対抗商品であるイワンチャイをめぐって生臭い商戦があり、イワンチャイは最終的に市場から駆逐された。」

17世紀にシベリアに逃げてきたロシア正教古儀式派の村で飲んでいるわけだから、
飲むだけで歴史の住人になれる。
ノコギリ草は、Achillea sibirica (Sibirian yarrow)なので、まさにシベリアの花。
ロシア語だとトィシャチェリストゥニク アピクノベニー(тысячелистник обыкновенный)となる。
通称は凄いよ。アキレス、ガチョウの葦、草コオロギ、ユダヤ人の草、タイル草、羊の舌。

2年前に同行したイワンくんが、トラヴァ茶(трава Чай)と呼んでいた。
訳すと「草のお茶」だけど、ノコギリ草という時、この名前は妥当かもしれない。


このお茶とてもおいしい。
野の滋味がする。
ただし
日本に持ってくると、どこがおいしいのかわからないと不評である。


もう少し調べてみよう。

2010年8月12日木曜日

ウラジオストクの潜水艦博物館



アバカンホテルロビーに午前3時半集合。朝6時の飛行機に乗る予定だった。
空港に行くと朝早くから売店もやっていてアルタイのホムスも売っている。
飛行機はモスクワの山火事の影響なのか1時間の遅れ。
やっと飛行機に乗れたのはいいが、席が決まっているはずなのに相変わらずの自由席状態。
これはいいかげんに直してもらいたい。
5時間のフライトでウラジオストクに到着。
その日はヒュンダイホテルでプルコギを食べ、
次の日は潜水艦博物館や展望台に行った。
夜バーに行くと、冴えない男がロシア人女性連れてダンスしていた。
後日、その人物がNHKの家族に乾杯のウラジオストク編に登場していたことが判明。
名前まで知ることになった。
日本に帰国の日、途中昼にに寄ったアルメニア料理店アララトのシャシリックはうまかった。

2010年8月9日月曜日

マントラの書かれた山



クズルの小高い山にチベット仏教のマントラが書かれている。
オム・マニ・ペメ・フム
今日これからトゥバを離れようとする日、オトクンがクルマで頂まで行くという。
すでにお坊さんまで同行している。



頂上からの眺めは360度のパノラマ。
ここに仏舎利なのか仏像なのか
オベリスクを建てる計画のようだ。



ホテル前に戻ると、
シュールー・オパールさんとナージャさん。
さらに
ホーメイセンターのゾーヤさん、キーラ、バーニャ。
アンドレイ・モングーシュなど
みんなが会いに来てくれた。

2010年8月8日日曜日

馬に乗りキシクラワーを摘まむ。



朝、外でブリヌイ(ロシアのクレープ)を焼いているの見ていたら
熱々のできたてを畳んで手渡してくれた。
「熱々は格別でしょ」
朝食のカーシャ(粥)も自然の甘味のみ。
天恵に舌鼓なり感謝なり。
そして、
ミハエルさんが馬を連れてきて、乗せてくれた。
ちょっと散歩程度の騎乗だが、
ミハエルさんがキースリッツァ(酸っぱい子ちゃん)と呼ぶベリー、
たぶんキシクラワー(アカスグリなのかな)を野で摘み、
ほんとに酸っぱい実を食べた。




実は昨晩遅く、日本語堪能なアイドゥンくんが、彼女と一緒に羊一頭を持ってきていて、
朝からバラン(羊の解体)を始めていた。
こういう時のトゥバ人の生き生きとした様子は、筆舌に尽くしがたい。

昼には完成。
最上の客人振る舞うドーシャとスープにハン(血のソーセージ)を入れて、
持参の柚子コショウもかなり合う。

ワークショップはクライマックス。
オッペイさんの言葉が多くなり、とても翻訳できないほど。
さりげなく他のホーメイジの批判も織り交ぜながら、
この出会いに大きな感謝していた。

夕方たった一泊なのに、胸いっぱいの思い出を詰めてこの地を後にした。

ほぼ全員何かの菌にやられて
おなかがかなり緩かったのに、乗り切ることができたのはなにより。
夜11時頃無事クズルに戻った。

2010年8月7日土曜日

悪路を越え、エニセイを渡ってエルジェイへ。



クズルから南へまさしく悪路をくね走り5時間。
シジムからエルジェイへ。
ロシア正教会の古儀式派 (Старообрядчество) が移り住んでいる町だ。
手動のフェリーで川を渡り、さらにボートで川岸のキャビンに。

スープ、パン、じゃがいも、ミルク、Сима́のグリル、イヴァンチャイ(Иван Чай)。
すべてが夢のごちそうのような滋味。
優しい味をしている。




夕食後、ロシア民謡と日本の歌を交互に歌う夕べ。
もちろんセヴェックのカルグラ、オッペイのホーメイ。
オトクンの口琴もシミジミ。
夜空は満天。宇宙が降り注ぐ。

2010年8月6日金曜日

シュールー・オパールさんの豪華パーティー。



トゥバの新博物館を見学すると、雨が降ってきた。
ユルタ(オグ)博物館では、遊牧民の暮らしを教えてくれる。
アルトゥシュ(杜松)を燃やす清めの香りに癒される。
夕方。パーティーに向う。
親戚一同。友人、知人たちに豪華な食事が振る舞われた。
仲間には、ピエロの装束と手品をたくさん仕込んできた人がいて
場を沸かした。
歌は「星降る街角」ワントゥ!
音楽担当の人は、ひとりでキーボード、リズムボックス、歌、ミキシング
すべてをこなしていた。
いつものように後半はダンス。老いも若きも踊り出す。
これぞトゥバ式。

2010年8月5日木曜日

トゥバテレビのスタジオとオパールさんのコンサート。



エルガキ(Ergaki)のロッジから220km走り、昼過ぎにトゥバ共和国の首都クズルのブヤンバドィルグィホテルにチェックイン。
(新しいエレベーター!! )
昼食後、みんなはTyvakyzyのチョドラーのワークショップ。
ぼくは隣のトゥバテレビのスタジオを借りて、ふたりのホーメイジのレコーディング。
歌姫ナジェージダ・クーラルのお母様シュールー・オパールさん80歳記念コンサートは、
シャーマンの占いで開催をしないことになっていたが、ぼくらのために
コンサートをしてくれることになっていた。
予定は5時だったが、レコーディングが6時半までかかり、
会場にいってみると、みんながぼくの帰りを待っていた。
到着と同時にコンサートスタート。
モングンオール・オンダール
はじめ錚々たる顔ぶれによる素晴らしいものだった。
夜はチェチェックさん宅で、白いご飯、鳥肉、マンチューの豪華な食事。
家主のチェチェックさんは、ネパール旅行中で不在だったが、
息子さんがSkypeでつなげてくれた。
だけどオパールおばあちゃんのマンチューはおいしいなぁ。

2010年8月4日水曜日

奇岩の山の美しい湖



ほんのわずかなハイキングと思ったら、
約12キロのトレッキングだった。
国立エルガキ自然公園の素晴らしさを堪能した。
しかし、昼過ぎに山頂目指すのは、10時半に日が暮れるこの地のみの無謀か。




ぬかるみに足を取られ、泥だらけのズボン。
雪の残る山の肌。
行者にんにくを取る仙人オッペイさん。
ガイドの山男アンドレイの蚊もさせぬ鋼鉄の腕。
わき水を飲む生きた心地。
あと2キロ、あと1キロ。
それはあと5キロだったり。
しかし到着したときの感動たるや言い尽くせぬ。
なんだろうこの彩色の湖は。

2010年8月3日火曜日

セヴェックのカルグラはほんとうに凄い。

送信者 Tuva2010


朝食後、ワークショップ。
なぜかリーダーはセルゲイ・オンダール。
ただ偶然ついてきただけなのに、一番一生懸命。
セヴェックのカルグラはほんとうに凄い。
オッペイさんのホーメイも熟練の渋味。
発音、舌の位置、喉のかたち、歌詞と盛りだくさん。
詳しい内容はマル秘。
ワークショップは行った人たちの特別な時間だ。
そう簡単に公開するわけにはいかない。
さて、昼食は昨日あきらめたシャシリックに挑戦。
早速、芋を焦がすホーメイジ。
豚肉のシャシリック厚すぎて中までなかなか焼けない。
結局、また雨が降ったりで、4時過ぎの昼になった。
でもシャシリックおいしいウォッカによく合う。
7時からは、バーニャ。白樺の枝でばっさばっさと。

2010年8月2日月曜日

トゥバの自然とホーメイを満喫する旅



ウラジオストクから5時間のフライトでアバカンに到着。
出口には、ホーメイ歌手のセルゲイ・オンダールが偶然いて握手。
彼は4年ほど前からアバカンに住んでいる。誰かを待っていたのだろうか。
預けた荷物を受け取ると、オトクン(今回の企画者)が登場。
13人乗りのバスに乗り、180キロトゥバへの道を行きエルガキ自然公園のキャビンに到着。
なぜかセルゲイも手ぶらで同乗して来た。
「こんにちは」
流暢な日本語で迎えてくれたのは、アイドゥンくん。
ウラジオストクの大学で日本語を勉強し、9月に日本に留学する予定だという。
エルガキは、ロシア共和国クラスノヤルスク区に位置している。
アイドゥンくんはトゥバのクズルからわざわざクルマを飛ばして挨拶に来てくれたようだ。
すでに今回のワークショップのマスターであるアルドェンノール・セヴェックさんとオッペイ・アンドレイさんが到着していた。
アルドェンノール・セヴェックさんは、ムングンタイガから。
オッペイ・アンドレイさんは、バイタイガから。
ふたりとも4000m級の山に住んでいる。
さて、夕飯はシャシリックのバーベキュー予定だったのだが、雲行きが怪しい。
山の天気は変わりやすく、雨がぱらつきはじめ、レストランキャビンでの夕食に変更した。

2010年8月1日日曜日

ウラジオストク行は今年からなんと成田発着便!!



ウラジオストク行は今年からなんと成田発着便!!
成田出発時の一番の驚きは、成田でルーブルに替えられたこと。
そればかりか、ウラジオストクで円からルーブルに替えられたこと。
知らない人にはなんの驚きもないでしょうが・・・いままでにないことです。

2010年3月22日月曜日

孔子縞于時藍染




イクエさんが新作の録音に参加して欲しいというので、
ノースウエスト改めデルタ航空JFK行きに乗って、
ニューヨークへ。

到着した日の夜、TONICでROVA saxophone quartet に
ゲストJohn Zornを観た。
会場で、詩人のSteve DalachinskyとかDMGのBRUCEとか旧知の人に途端に会えるのも
さすがNYC。
次の日は
地下鉄6番に乗ってY92という92丁目のスペースへ。
Yoshiko Chuma & The School of Hard Knocks公演。お
おたか静流さんの歌がいい。

月曜日、スタジオイーストサウンドへ。
モリイクエさんのvisual piece KIBYOUSHIの新作は、山東京伝の孔子縞于時藍染。
江戸時代の黄本の道徳テーマは実に不可思議。
物もらいまでもが、孔子に習うほど、孔子が流行しているというお話。
イクエさんが操作するリミティッド・アニメーションがほのぼの奇妙。
これにエレクトロニクスが加わり、独特の新世界を作り上げている。
ゲストは、ぼくとMark Nauseefさん。
いい音楽ができたと思う。

2009年11月12日木曜日

ヴェーベルンの家のすぐ近く

オスロ発7時の飛行機なので4時起き。
外は0度くらいか寒い。
ごろごろとスーツケースを転がし歩いてAirport Expressに乗り空港へ。
チケット間違えて在来線のを買ってしまい、降車駅で手続き。
オーストリア航空332便でウィーンまで。
ウィーンー東京の飛行機まで時間があったので、
ウィーンの内橋和久宅へ。
内橋君の家の2軒隣がアントン・ヴェーベルンの家で驚く。
清水一登とれいちのAreposを思い出さないわけにはいかない。
ラテン語の音列の魔法陣を引用し
「原音列、その逆行、反行、逆反行は同価である。」
と説いたヴェーベルンの家である。
ぼくはあの音色の変化とスピードが好きだ。
かなり古いエレベーターを昇り内橋家に着くと
鳥の煮込みスープで歓迎してくれた。
この日は娘さんの誕生日で誕生会の準備中だった。
くつろぐ間もなく、空港に舞い戻り、東京行きの飛行機に乗った。
慌ただしかったが、訪問できてよかった。

2009年11月11日水曜日

オスロ

9日の早朝ホテルをチェックアウトして、
シルヴィーやシェイナ、写真家のピーター
ジーナの姉妹のサラとマーガレットたちとバンに乗って
ミュンヘン空港へ。
早く着きすぎて、時間を持て余した。
スカンジナビア航空SK1666でまずコペンハーゲンへ
SK460に乗りかえてオスロに到着。
Airport Expressに乗ってナショナルシアター前で下車。
オスロは未来都市のように洗練されている。
Victoriaというジャズクラブでトーベンというサックス、ショーレンというピアニスト
そしてトーマスとのライブ。ミキサー卓を見ると最新式で輝いていた。
このクラブはいい空気で快適。
リハの後、Tabibitoという名のレストランへ。
入り口で名前見たときは、日本料理と思ったのだけど、
チャイニーズフュージョンだった。
結局チャーハンを注文した。なんて久しぶりのライス!

10日は何もなく、ホテルを移動。
地下鉄に乗って、ムンクミュージアムに行った。
途中、ノルウェイのセーターを子供のために買った。
サイズが合うといいのだけど。
この日、ムンクミュージアムは入場料無料の日。
「叫び」を見ることができた。
「叫び」橋の上で叫んでいるように見えるのだけど
本当はいろんな叫びが聞こえて耳を塞いでいるのだそうだ。

11日は、朝曲作り。ニコセロンという曲が完成した。
午後、クルマでまず郊外の美術館に行った。
クルト・シュビッターズのノルウェイ時代展というのを開催中だった。
いいものにあたった。
ナチから逃れたシュビッターズはノルウェイにいたのか。
この美術館のレストランでランチをしたのだが、3000円近くもした。
お茶碗一杯分くらいの小さなリゾットだった。さすがに物価が高い。
一路、1時間くらいいったトンスベルグという町へ。
途中「叫び」のあの橋があるというので楽しみにしていたが
トーマスが止まるのを忘れてしまって、ライブ会場に到着。
小さいながらもジャズフェスティバルだった。
ここでまかないがでたのだけど
鮭のソテーと白いご飯といううれしいメニューだった。
トーマスとトーベンは鮨を注文。
醤油が麺つゆのお椀に入っていたのには驚いた。
なにかが間違っている。

2009年11月4日水曜日

ウィーンから小型機に乗って

ウィーンから小型機に乗って、45分でリンツ空港に到着。
そこからクルマで30分ほどでヴェルスの町に着く。
フェスティバルが予約したHotel Greifにチェックイン。

ほっと一息ついているとイクエさんから電話があった。
近くのレストランでジーナや主催者のウォルフガングと食事をしているという。
行ってみるとそこはビアレストランで、演奏付きのにぎやかな場所だった。
名前はGÖSSERBRÄUという。
11月1日から解禁になったグースの料理があるとのことでそれを注文。
Martini Ganslというもので、「マルティンのガチョウ」というそうだ。
おいしいけど、量が多くて半分しか食べれなかったのが残念。
店のオーナーがホイリゲ(ワインの新酒)もごちそうしてくれた。

ヴェルスの町には、イクエさんのポスターがいたるところに貼られている。

2009年10月3日土曜日

スペインから帰りました。

はじめてのスペインから帰って4日経った。
思い出します。
マドリードの空港からタクシーでアトーチャ駅近くのホテルへ。
チェックインして、眠いのをこらえ、高円寺百景を観にライブハウスに行く。
スペインでは挨拶はみんな「オラ」ですましているようだ。
次の日、スペイン浪越指圧のたけしさんがロビーに来てくれて、散歩。
なぜかセファルディの写真展などを見て、浪越指圧の小野田先生に会う。
近くでお昼。はじめてのガスパチョ。
小野田先生の案内でマドリード観光をさせてもらう。
たけしさんに指圧を受ける。
首のコリを実感。
夕食は、イベリコの生ハム専門店で。またもガスパチョ。
次の日、ホテル近くのソフィアアートセンターでゲルニカを観賞。
この日もガスパチョ。
24日、電車に乗り3時間半、カセレスへ。
カセレスは白壁の町。そのはずれにウォルフ・フォステルのミュージアムがある。
彼はフルクサスのメンバーだった。
廃棄されたクルマ、テレビを使ったインスタレーションは強烈。

2009年9月6日日曜日

旭岳ハイキング姿見の池エゾリスが走る。

夏休みの最後は、北海道を家族旅行した。
小樽、旭山動物園、富良野 どこもよかったけど
なによりすばらしかったのは、旭岳。
ロープウェイで標高1200mまで上がり、1時間ほどハイキング。

天候に恵まれて、最高の日になった。