2009年12月26日土曜日

ヒカシュークリスマスミーティング

こんなに楽しい日はなかった。
ヒカシューとかつてのヒカシューメンバー
そして近田春夫に「エレクトリックラブストーリー」を歌ってもらった。
ヒカシュー30周年記念の素敵な締めくくり。

写真は近田さんがうたっているところ。
撮ってくれたのは、ヒカシューにはじめてファンレターをくれた野々村くん。
それも近田さんの番組に送ったはがきだった。


写真 野々村文宏

2009年11月23日月曜日

This is it!を観た。

マイケル・ジャクソンが天才なのは
ベンジーの頃から知っている
よくまねしたあの高い声

This is it!

スリラーもバッドも
ほんとに何回もみたけど
とてもまねできないあの踊り

This is it!


ぼくはこんなでかいショーにはいつもうんざり。
みんながマイケルにへつらっていてやりきれない。

This is it!

2009年11月20日金曜日

前歯

10月のロフトでのセッティングの時に、
コードのプラグが歯にあたって前歯が欠けた。
それを1ヶ月もたって歯医者にきたが、
わがかかり付けのインドネシア人の歯医者さんは、
「ああ、大丈夫ですね」と
欠けた歯の長さに隣の歯を削り揃えた。
全体に前歯が短くなった。
果たしてこんな治し方でよかったのか。

そんなに印象がかわっていないのでよしとしよう。

2009年11月17日火曜日

湯河原で三田超人とレコーディング

「鯉とガスパチョ」を10月に出せたものの、
年内あと2枚はさすがに無理だ。
今日は三田超人が湯河原。
他のメンバーは成城学園のIGO studioでの変速レコーディング。
今回WelsやOsloで浮かびまくった「ニコセロン」とか「ユウトリウス」に
オーバーダブしてまとめるという作戦なのだが、
三田と録音したものを次々ににIGO studioに送っていった。
IGOstudioは、夕方の段階でまだセッティングをしていた。

2009年11月12日木曜日

ヴェーベルンの家のすぐ近く

オスロ発7時の飛行機なので4時起き。
外は0度くらいか寒い。
ごろごろとスーツケースを転がし歩いてAirport Expressに乗り空港へ。
チケット間違えて在来線のを買ってしまい、降車駅で手続き。
オーストリア航空332便でウィーンまで。
ウィーンー東京の飛行機まで時間があったので、
ウィーンの内橋和久宅へ。
内橋君の家の2軒隣がアントン・ヴェーベルンの家で驚く。
清水一登とれいちのAreposを思い出さないわけにはいかない。
ラテン語の音列の魔法陣を引用し
「原音列、その逆行、反行、逆反行は同価である。」
と説いたヴェーベルンの家である。
ぼくはあの音色の変化とスピードが好きだ。
かなり古いエレベーターを昇り内橋家に着くと
鳥の煮込みスープで歓迎してくれた。
この日は娘さんの誕生日で誕生会の準備中だった。
くつろぐ間もなく、空港に舞い戻り、東京行きの飛行機に乗った。
慌ただしかったが、訪問できてよかった。

2009年11月11日水曜日

オスロ

9日の早朝ホテルをチェックアウトして、
シルヴィーやシェイナ、写真家のピーター
ジーナの姉妹のサラとマーガレットたちとバンに乗って
ミュンヘン空港へ。
早く着きすぎて、時間を持て余した。
スカンジナビア航空SK1666でまずコペンハーゲンへ
SK460に乗りかえてオスロに到着。
Airport Expressに乗ってナショナルシアター前で下車。
オスロは未来都市のように洗練されている。
Victoriaというジャズクラブでトーベンというサックス、ショーレンというピアニスト
そしてトーマスとのライブ。ミキサー卓を見ると最新式で輝いていた。
このクラブはいい空気で快適。
リハの後、Tabibitoという名のレストランへ。
入り口で名前見たときは、日本料理と思ったのだけど、
チャイニーズフュージョンだった。
結局チャーハンを注文した。なんて久しぶりのライス!

10日は何もなく、ホテルを移動。
地下鉄に乗って、ムンクミュージアムに行った。
途中、ノルウェイのセーターを子供のために買った。
サイズが合うといいのだけど。
この日、ムンクミュージアムは入場料無料の日。
「叫び」を見ることができた。
「叫び」橋の上で叫んでいるように見えるのだけど
本当はいろんな叫びが聞こえて耳を塞いでいるのだそうだ。

11日は、朝曲作り。ニコセロンという曲が完成した。
午後、クルマでまず郊外の美術館に行った。
クルト・シュビッターズのノルウェイ時代展というのを開催中だった。
いいものにあたった。
ナチから逃れたシュビッターズはノルウェイにいたのか。
この美術館のレストランでランチをしたのだが、3000円近くもした。
お茶碗一杯分くらいの小さなリゾットだった。さすがに物価が高い。
一路、1時間くらいいったトンスベルグという町へ。
途中「叫び」のあの橋があるというので楽しみにしていたが
トーマスが止まるのを忘れてしまって、ライブ会場に到着。
小さいながらもジャズフェスティバルだった。
ここでまかないがでたのだけど
鮭のソテーと白いご飯といううれしいメニューだった。
トーマスとトーベンは鮨を注文。
醤油が麺つゆのお椀に入っていたのには驚いた。
なにかが間違っている。

2009年11月6日金曜日

Wels Unlimited 23いいフェスティバルだなぁ。

Wels Unlimited 23の幕開けは、コブラだった。
客席は300人ほどか。満員だ。
若者から年配の人までいる。

フィル・ミントンとウテ・ヴァッサーマンのいるスピークイージー。
ウテさん、1994年に日本に来た時共演したことがあったっけ。


楽屋もなかなか楽しい。

2009年11月5日木曜日

オーストリアでコブラのリハーサル

John Zorn選りすぐりのメンバーが揃った。
本日はリハーサルのみ。


舞台左から
john zorns cobra „wels operations“
sylvie courvoisier ピアノ,
ikue mori エレクトロニクス,
noid haberl チェロ,
shayna dunkelman パーカッション,
fred frith ギター,
chris cutler ドラムス,
okkyung lee チェロ,
kazuhisa uchihashi ギター,
tony buck ドラムス,
david watson ギター,
maja ratkje 声 エフェクト,
zeena parkins 電気ハープ,

makigami koichi  プロンプター

初めての人が4人。知っている人が多いだけに、細かい確認が必要になった。






2009年11月4日水曜日

ウィーンから小型機に乗って

ウィーンから小型機に乗って、45分でリンツ空港に到着。
そこからクルマで30分ほどでヴェルスの町に着く。
フェスティバルが予約したHotel Greifにチェックイン。

ほっと一息ついているとイクエさんから電話があった。
近くのレストランでジーナや主催者のウォルフガングと食事をしているという。
行ってみるとそこはビアレストランで、演奏付きのにぎやかな場所だった。
名前はGÖSSERBRÄUという。
11月1日から解禁になったグースの料理があるとのことでそれを注文。
Martini Ganslというもので、「マルティンのガチョウ」というそうだ。
おいしいけど、量が多くて半分しか食べれなかったのが残念。
店のオーナーがホイリゲ(ワインの新酒)もごちそうしてくれた。

ヴェルスの町には、イクエさんのポスターがいたるところに貼られている。

2009年10月30日金曜日

ヒカシュー渋谷クアトロ

ヒカシュー渋谷クアトロは、
ジューシィ・ハーフのとても素敵なステージではじまり、
企画して本当によかった。
いきいきとしたものがよみがえり、弾けていた。

そもそものはじまりは、
イリアがアマチュアの合唱団にいて、
高橋悠治のパーリ語の合唱曲のこことで
連絡してきたことだ。
どうも曲を短くしたいということらしいのだが、
それで連絡先を教えてあげたりした。

そこで最近ジューシィ・ハーフというのをやっているという
ニュースを耳にして、
ぜひクアトロのヒカシュー公演に出てほしいとお願いしたのだ。
すぐに快諾はしてもらえなかったが、
悩んだ末のいい返事をもらえた。

結果
ジューシィ・ハーフの魅力的なステージが目の前で実現した。
イリアは、声もギターも出で立ちも、デビュー時のものをすべて持っていた。
トシは、ステージ上で自分が参加しているヒカシューの1stと2ndを宣伝してくれたり、
いつものいいやつぶりを発揮していた。
また
ベースのジェフ氏 ギターのAkishiro氏という好サポートを得て
瑞々しさが際立っていた。

ヒカシューは、三田超人のへんてこダンスからはじまった。
それはステージに登場する30秒くらい前に決まったが
すぐにやってくれるフリーマンは偉い。
途中息切れしてこっちにでてくれと懇願しているフリーマンが見えたので
さりげなく出て行きステージをはじめた。
会場はジューシィ・ハーフが作ってくれた素敵なオーラが満ちあふれていて
会場に一体感があったので、とてもやりやすかった。
応援してくれる人が一人でも多いと、うれしいのが人情である。

この日は
ヒカシューとジューシィを世に出した近田春夫氏も招待した。
ちょうど近田さんがロングインタビューを決行中の裕也さんも
なぜかかけつけてくれた。

アンコールも3回。
楽屋に裕也さんが来て、なにかただならぬオーラをだしていた。
裕也さんは当日券を買って入ってくれたらしい。

裕也さんは
「ヒカシューはやっぱフランク・ザッパ(マザーズ)だな。寺山とも共通のものを感じるよ」
30年前にも言われたことを繰り返してくれた。
これもやけにうれしかった。

12月には近田さんと相対性理論にゲストに来てもらうことにした。

これシリーズ的に続くと面白いなぁ。
ジューシィにもまた来てもらいたいし。

たくさんのすばらしい友だちも来てくれてうれしい一夜だった。

トゥバクィズィ来日公演からヒカシュー



トゥバクィズィ9年ぶりの来日。
彼女たちの上達ぶりに感心した。
9年前は、不安でアンドレイやナデージダ・クーラルをゲストにしたことを思い出す。
しかし、いまもうそんな不安はまったくないすばらしいステージができるグループに発展した。
東京公演と名古屋の入りが悪くて赤字になってしまったのが実に痛いが
今後につながるいいステップになったと思う。


その彼女たちの公演が続いてる中
ヒカシューのツアーがはじった。

2009年10月3日土曜日

スペインから帰りました。

はじめてのスペインから帰って4日経った。
思い出します。
マドリードの空港からタクシーでアトーチャ駅近くのホテルへ。
チェックインして、眠いのをこらえ、高円寺百景を観にライブハウスに行く。
スペインでは挨拶はみんな「オラ」ですましているようだ。
次の日、スペイン浪越指圧のたけしさんがロビーに来てくれて、散歩。
なぜかセファルディの写真展などを見て、浪越指圧の小野田先生に会う。
近くでお昼。はじめてのガスパチョ。
小野田先生の案内でマドリード観光をさせてもらう。
たけしさんに指圧を受ける。
首のコリを実感。
夕食は、イベリコの生ハム専門店で。またもガスパチョ。
次の日、ホテル近くのソフィアアートセンターでゲルニカを観賞。
この日もガスパチョ。
24日、電車に乗り3時間半、カセレスへ。
カセレスは白壁の町。そのはずれにウォルフ・フォステルのミュージアムがある。
彼はフルクサスのメンバーだった。
廃棄されたクルマ、テレビを使ったインスタレーションは強烈。

2009年9月6日日曜日

鯉とガスパチョのMIXにKORGのMR-2000Sを使った。

坂出スタジオでMIX。
もるとゆらじおというBLOGで、
全然つかまらない人、と呼ばれているその人のスタジオである。

今回は、マスタリングをしてくれるオノセイゲンの勧めで、
KORGのMR-2000Sをマスターレコーダーに使った。


これが1ビット5.6448MhzというSACDのさらに上をいく驚異の音のよさで、
10年前のたいして音の良くない音を流し込んでも、魔法のように音がよみがえる。
一台欲しくなってしまうすばらしいレコーダーだ。

ゲームピース開票速報

衆議院選挙の日、8月30日。
選挙を済ませて、江古田マーキーへ。
10個のグラフィックと11個の音楽要素、それにスピードを加えた曲を作っていった。
初演なのでまだぎこちないところもあったが、
この日にしかできない記念すべき曲ができあがった。

なにしろ政権交代が、戦後はじめて成立したといえる記念すべき日なのである。
4年前の郵政選挙とはわけが違うのだが、政治通ぶる人間やジャーナリストは、
この変化についていってない。
つまりいままでいかに彼らが自民党べったりだったかということだ。
政治記者は特にひどい。
まったく世の中が読めていないような発言を繰り返す。
民主党をよくみなくてはいけない
なんてことをいってるが、よくみてる暇なんてない。
いまこの国のひどくなったところを直さなくては、いつ直すというのだろう。
それに参加しなくてどうするのか。

社民党も共産党もそれがわかっているから協力したのがわからないのだろうか。

旭岳ハイキング姿見の池エゾリスが走る。

夏休みの最後は、北海道を家族旅行した。
小樽、旭山動物園、富良野 どこもよかったけど
なによりすばらしかったのは、旭岳。
ロープウェイで標高1200mまで上がり、1時間ほどハイキング。

天候に恵まれて、最高の日になった。




ベースを弾いたのは何年ぶりだったろう。



JAZZ ARTせんがわの次の日、7月15日。
高円寺のショーボート。
吉田達也と内橋和久の超即興のゲストとして清水一登と参加。
吉田君のリクエストでエレキベースを弾いた。
何かエフェクトをとも考えたのだが、
ストレートにベースの音だけで演奏した。

次の日は、イクエさんとシルヴィーの待つ釧路へ。
釧路の次は札幌。
沼山さんにたいへんお世話になった。
京都では舞踏の岩下徹さんと共演し、湯河原現代音楽フェスティバル。
6月は怒濤の月だった。

2009年7月14日火曜日

天才、平岡正明を追悼する。

言うのが遅くなった。
平岡さんがいなくなると本当にさびしい。さびしすぎる。
昨年のはじめ荻窪のロフトで行われた「シュールレアリスム落語宣言」の出版記念の会で、
ちょっと血圧が高いのかなと思っていたけど、
ぼくがもう7年も出ていなかった横濱ジャズプロムナードのことが話題になり、
ちょうど居合わしたプロムナード委員会のSさんに、奥さんが
「巻上君を出してね」と言ってくれて、昨年のブロムナードにヒカシューで出ることになった。
ご夫婦仲良く、一番前の席でにこにこと見てくれていて、こっちの方がうれしくってたまらなかった。
1981年 ヒカシューの3枚目のアルバム「うわさの人類」を朝日新聞で褒め抜いてくれて、
批判を書いた中村とうよう氏にちょうどハチ合わせた時、とうようさんが「いや平岡さんに一本とられた」と言ったことや、
一緒に内藤誠監督の映画「俗物図鑑」に出たことや、
平岡さんが企画した「浪曲20世紀」というイベントで浪曲、河内音頭の京山幸牛若師匠とヒカシューが共演してツアーをしたり、
その岡山公演がはねた後、新幹線で広島に行き、タクシーで呉に行ってラーメンを食べたことや、
彫りよし三代目のイベントに出たり、団鬼六さんの家に行き、鬼六さんと志麻いずみさんに会って、スッポン食べたり、
野毛の大道芸で売り子手伝ったり、
浅草で、玉川福太郎に一緒に惚れ惚れしたり、
もう思い出が山ほどあってとても整理できない。
それで遅くなった。
とても書ききれないのである。

葬式では、田中優子さんや、山下洋輔さんの弔辞に泣けて泣けて、
お経を読んでいるのが上杉清文上人や毎月福神の会で会っている仲間たち。
栗本慎一郎さんもいた。
平岡さんの小説「皇帝円舞曲」のモデル集合だ。
いつまでも平岡さんの話をつづけることで、平岡正明の天才ぶりを讃えていくことが、
残されたものの使命である。

2009年7月8日水曜日

JAZZ ART せんがわ よかったなぁ。

今年は、昨年よりさらに濃い出演者で、濃密な世界が展開していた。
吉増剛造、大友良英、巻上公一

撮影 手塚愛子

ヒカシューに梅津和時!!

(これからのんびり書きますね。)




















撮影 土方えり

2009年7月3日金曜日

北海道のツアーを思い出す。



先月6月16日
釧路のジスイズに到着して
シルヴィーが撮ってくれた写真。
小さくて歴史のあるジャズ喫茶の佇まい。

阿寒湖からたくさんのムックリ仲間。
「絶対に国際口琴会議を釧路でやるぞ」
まだその意気込みは消えてなかった。

2009年6月23日火曜日

ここちよい現代音楽の温泉に浸る。


(写真小熊栄)

湯河原現代音楽フェスティバルvol.1当日。
檜チャリティコンサートホールにたくさんの人。
地元の協力を得ることが出来て、当日は熱気があった。
出演は、ピアニストの高橋悠治、ヴァイオリンの鈴木理恵子
シルヴィー・コルバジェ、モリイクエ、巻上公一の5人。
中国の高平は残念ながらこれなかった。
おかげといってはなんだが、シンプルな構成になったのはよかった。
司会は、作家の田口ランディ。
田口さんのおかげで、いろんなお客さんを動員することが出来たが、
耳慣れない音楽であろうお客さんが増えたのが心配ではあった。
このへんはいつも矛盾した気分になる。なにしろ万人向けの音楽ではない。
しかしたくさんの人にきいて欲しい。
81歳の女性が、「素晴らしい」と感動する傍らで、
癒しの音楽しか耳に馴染まない人もいる。
「わかる」とか「わからない」にしかこだわっていない人もいる。
もちろん寝てしまった人もいる。笑い続けた人もいる。
そのさまざまな観客を前にして、
今日の演奏者は、本当に巧みな名人たちであるのは、夢のようなことだ。

曲目は、
高橋悠治氏にぼくがリクエストした武満徹の「妖精の距離」。
そこから出発して、
「七つのバラがやぶにさく」「悲歌」
「パランセ」「光州」
アントニオ・カルロス・ジョビンまで
常識を覆す強いメッセージを持った演奏に息を飲んだ人も多いはず。

シルヴィーのソロピアノもいつになく素晴らしいものだった。
内部奏法をこんなに華麗にする人を他に知らない。

アグラダルマは、白い蓮のための即興曲と題してインプロヴィゼーションを3つ。
北海道、関東、京都を回ってきての最終日の演奏だ。
今日は、シルヴィーがセンターに位置した。
モリイクエさんの、独特のエレクトロニクスの世界は唯一無比。
なにしろエレクトロニカの本当の先駆者である。

続いて、全員の即興をした。
悠治さんの奇襲のようなクラスター。

いずれにしろ湯河原で現代音楽のフェスティバルができたのは
本当に奇跡のようなことだった。

写真小熊栄)

コンサートの前に舟盛り

「湯河原」と「現代音楽」の当日の昼下がり。
東京からの出演者一行は、真鶴に来ていた。
京都から熱海に着いたモリイクエさんとシルヴィー・コルバジェ。
彼らを連れてラーメンを食べようかと思ったがお休みで、
一行に電話すると、舟盛りが食べきれないという。
さっそくその店に到着。

たしかにこれが1人前。
2人前頼んだけど、4人で食べきれなかったんだそうだ。

貴船神社の前の地魚しかない小さな店だけど
かなりフレンドリーであたたかい。
なかなかいいなぁ。まるいり食堂。

2009年6月9日火曜日

ホーメイの上音にミジンコの生命映す



坂田明さんと新潟の村上に公演に行ってきた。
喋って演奏して、ミジンコ見て、ホーメイして
打ち上げに村上牛のすき焼きいただいて
瀬波温泉に入って、
鮭を見て、朝市を歩いた。



2009年6月1日月曜日

1981年 ぼくまだベースを弾いていた。

ヒカシューのミーティング。
ことし9月から、東芝時代のリマスタリングがブリッジから次々に発売されるのを受けて、
新作の録音日程の調整などをした。

古いビデオの中に、1981年の渋谷でのライブがあった。
曲は「うわさの人類」
まだぼくはベースを弾いていた。
坂出君が入るほんの少し前だ。

2009年5月14日木曜日

タクシーでケチケメートまで飛ばしてくれ。

ルーマニアの街アラードから口琴職人ゾルタンの家まで
わずか200キロと聞いていたし、帰りの飛行場までの途中であるので、
寄ることを決意したが、
劇場スタッフが、電車やミニバスの時間を調べてくれたが、
どうもいいのがないらしい。
芳子さんが、「ここではひとつのことが4時間かかるのよ」といい
アラードからやはり200キロのクルージュまでタクシーで200ユーロ(約3万円)したんだから」
と、大変さを語ってくれたが、
そんなことはないだろうと、ホテルに戻り
「タクシーでシギトまでいくら?」と訊ねると250LEI(6500円ぐらい)という。
尺八の元永さんも一緒するというので、ひとり3000円ちょっとだ。
これならタクシーのがいい。
「でも行きたいのは、ケチケメートで、もう少しあるけど、それだといくら?」
と訊くと、それでも250LEI でいいよ、と言ってくれた。

そんなわけで約3時間タクシーに乗って、ケチケメートのゾルタン宅に着いたのである。
ゾルタンの奥さんはニューヨークの息子のところにちょうど行っていて
ひとりきりだった。
地下の工房に新しく作ったシンギングボールやゴングのコレクションをみせてくれた。

小一時間ほど話して、ケチケメート駅からブダペストのペンションに慌ただしく向かった。

2009年5月5日火曜日

鳩の棲んでいる劇場--ルーマニアのアラード



ルーマニアのアラード
鳩の棲んでいる劇場は、煉瓦造りの朽ちた作りで
ニューヨークのコレオグラファー中馬芳子のプロジェクトは、
ここで3週間に渡るワークショップで作品を作ってきた。
ぼくが到着したのは、4日の夕方。
稽古はある種の困難さに直面していた。
そのせいで構成の決定が遅れていたのだが、
はじめかわいい声に聞こえたポッポも、
リハーサルが本番の日に近づくにつれて、
だんだんにくらしくきこえるものだった。
ルーマニアやヨルダン、マケドニアなどを股にかける
芳子さんの挑戦は素晴らしく、
ジョン・ケージのバリエーションズ
ルーマニアのフィルム
ルーマニアのローカルな人々の写真
ニューヨークとルーマニアのダンサーや役者の言葉など
作品は複雑に響きあうような旅のかたちをしていた。

鳩の糞や壁のダストを掃除する日課に
音楽は簡単にはすすまなかったが、
ぼくのテルミンや口琴はもとより
おおたか静流の歌や
元永拓の尺八
Tcha Limberger のバイオリン
そのどれもうねるような音で構成された。

The films in the performance range from classics to contemporaries and include "John Cage-Variations VII" from the DVD film series, "9 Evenings: Theatre & Engineering" (1966), issued by Experiments in Art and Technology (E.A.T.); and excerpts of two Romanian films, "Stuff and Dough" (2001), directed by Cristi Puiu, and "12:08 East of Bucharest" (2006), directed by Corneliu Porumboiu. Distillations of the films are woven into the performance; this has been a vital component of Chuma's ongoing "Page Out of Order" series.

poonarc

2009年4月19日日曜日

本日はイタリア発、ベルギー経由、イタリア行きだった。

4月19日、Black Light Orchestraとのマチネーがあるので、
リハーサルのために午後一時に会場の「月見る君を想う」に到着。
すると彼らはまだリハもやらないで取材などを受けていた。
ではこちらはひとりでお昼にしようとすぐ隣のTRATTORIA Firenze SANTAMARIAでランチを食べた。
本日のパスタには、スープもサラダもパンもついて、おいしい上にお手ごろな価格だった。
フィレンツェで修業したシェフらしい。
店員はみなイタリア語でペルファボーレとオーダーをいれていた。

ぼくの出番は、ギター着流しの日比谷カタンの後。
口琴からはじめてテルミン、声、サンプラー、コルネットを使ったインプロをした。
会場があたたかい雰囲気でとてもやりやすかった。
続いてのBlack Light Orchestraは、ウィットに富んだ素敵なグループだが、
もうすこしダイナミックだとうれしい気がする。
それにかなり演奏時間が長い。
また「月見る君を想う」の二階席が喫煙できるのが問題。
決して換気がいいとは言えないので、煙ってしまう。
ライブハウス内にタバコの自販機が置いてあるのにもむっとする。
それだけでこの店の点がぼくには低くなってしまう。
早晩撤去して欲しいものだ。
そんなわけで一昨日にも見ているので、ちょっと抜け出して、
花畑牧場のアイスを食べてきた。
昼ぐらいは行列していたが、夕方になると簡単に入れる。
<<だけど青山に似あわない田舎臭いお店だなぁ、なにしろデザインがかっこ悪い・・>>

帰りは、同じ青山のナプレで最高においしいピザを食べた。
さすがピザチャンピオン。
本日はイタリア発、ベルギー経由、イタリア行きだった。

2009年4月10日金曜日

コブラ終えてこぼれ桜の目黒川



昨晩のピットイン。
2年ぶりに来日したジョン・ゾーンの公演とあって、200枚のチケットは早々に完売。
1セット目は、ジョン・ゾーンに、大友良英、ジム・オルーク、巻上公一の4人によるインプロ。
2セット目は、ジョン・ゾーン プロンプターによるコブラ。
メンバーは、
向島ゆり子(Violin) 四家卯大(Cello) 佐藤芳明(Accordion)
伊澤知恵(Piano)鳥越啓介(Bass) 佐藤えりか(Bass)
神田佳子(Percussion)ぴかちゅうりっぷ(Drums)
植村昌弘 (Drums)大友良英 (Guitar)ジム・オルーク(Guitar)
巻上公一(Voice,オーガナイズ)

すばらしく豪華な時間を過ごすことが出来た。
当初は、コブラをやるつもりはなかったのだけど、
ピットインの鈴木さんのつよい希望で急遽することになって、
人選にはかなり苦労した。(なにしろ時間がなかった)
それでもジョンも大満足できるレペルの演奏になっていて
ほっと一安心した。

この成果のおかげで、来年はもう少し発展したことができそうになってきた。

だいたいいまやヨーロッパなどでは、
ジョン・ゾーンの大きなフェスティバルが数多く組まれているのに
日本のイベンターのふがいなさといったら、なんなのだろうかと思う。
エレクトリックマサダやムーンチャルドやストリングスや
人気のプログラムが目白押しである。
日本では、ピットインだけが本当に誠意ある対応しているから
信用を勝ち取っているのだろう。

さて
昨晩のいい気分をかって
今日は目黒川をさくら散歩をした。

P.S.
当日は混雑しましたが、ご協力ありがとうございました。

2009年4月8日水曜日

JAZZ ART せんがわのポスターができた。

JAZZ ART せんがわのポスターができた。
3日間の通し券を買うと、プレゼントしてくれるらしい。

今年からすぐ近くのCAFE キックバックカフェもフェスティバルに参加。
6月11日が前夜祭で、12日にはK0NTA 13日にはパスカルズとカルメンマキが出てくれることになった。

このCAFE 完全禁煙、ノンアルコホール、授乳室完備、ヴィーガンメニューという
なかなか進んだところである。

2009年4月3日金曜日

豪快な野菜のピザ。

この日 岩原に行って、
ピットーレのピザを食べた。
洞爺湖サミットディナーも気になったが
やはりピザに限る。
まるでイタリアやスイスなみにおいしいけれど、
今年はこの野菜のピザ、驚愕の豪快。
生地は森の中の大地と化している。

2009年3月30日月曜日

Humcrushを熱海駅まで

いまハムクラッシュのふたりを熱海駅まで送ってきた。
たった3回のライブだったけど、強い印象を残したと思う。
ノルウェー人の気質、彼らの音楽教養の高さが、
おおらかなノイズ、エレクトロニカを形成している。
それが物足りない人もいるだろうが、
いっさいのケレンまた反ケレンもないともいえるだろう。
きわめて自然体なのがすがすがしい。

ゲストに来てくれた八木美知依は、もともとの高い資質に経験がプラスされ
小気味よい演奏でステージに彩りを与えてくれた。

湯河原檜チャリティーコンサートホール
音がいまひとつ明瞭にならないのだけれど
森林浴のような居心地である。
いい感じに眠くなる。

住職にお願いして、改造したいところだが、なかなかそうもいくまい。
ただ、6月に湯河原初の現代音楽祭を高橋悠治氏を招いて行うので
その時にはなにか考えたい。
そのためにはもう少しチケットを売る必要がある。

2009年3月4日水曜日

A NIGHT AT THE OPERA

A NIGHT AT THE OPERA
ジョン・ゾーンのアルバムASTRONOME を
そのまま演劇にした強烈な舞台を
リチャード・フォアマンが作った。
わざわざニューヨークまで観に来るようになって
17年!!
自分でも信じられない。
中毒のようなものなのかな。
9.11が起きた後は怖くて来れなくて、
あの時はその時の作品のシンガポール公演を
ひとりで観に行ったのだった。

2009年3月3日火曜日

ニューヨークに到着すると大雪。

ニューヨークに到着すると大雪。
マイナス2度の寒さで、交通はかなり混乱していた。
このところ節約が身に付いてきて、タクシーでマンハッタンに行くことがない。
スーパーシャトルのような乗り合いバスで行く。
たいてい小一時間待たされるのだが、
特に焦っていないので、また待つのもオツである。
さっきからぼくの前を行ったり来たりしている日本人の若者がいて、
困ってそうなので声をかけた。
すると迎えにくるはずの彼女が来ないらしい。
はじめての海外でぼう然としている。
しかも電話もつながらないという。
ぼくは自分の海外用の携帯を出してみた。
「かけてあげようか? 番号は」
「えーと、1-080・・」
最初、気がつかなかったが、どこかできいたことのある番号だ。
「ね、ひょっとしてこれ日本の携帯の番号? それじゃ国番号1をつけてもつながらないよ。
1というのはアメリカの国番号だもの。81をつけなきゃ」
最近、海外にローミングできる電話が増えたのはいいが、
どこにかけているのかわからない錯覚がおこるので要注意だ。
ぼくの場合は、外国に着いたら、その土地のSIMを買って、
その国の番号になるようにしている。
そうしないと地元の人は、まず電話をくれることはない。
その子はやっと迎えの彼女と連絡が取れた。
道が混んでいて、3時間以上運転しているらしい。
それでも10分後には彼女が到着した。
ぼくのシャトルも満員の客を乗せて到着した。

2009年3月1日日曜日

吉増剛造---キセキを残す映像詩


先頃古稀を迎えた詩人、吉増剛造GOZOcineのDVD発売とのことで、さまざまな催しが開かれているようだ。今度、6月12日、13日、14日に調布のせんがわで開かれるJAZZ ART せんがわに出演していただくために何度かファックスでやり取り、いいろいろな確認のためにABCブックセンターを訪れた。その日は、しまおまほ×ホンマタカシ×吉増剛造×八角聡仁(司会)という組み合わせ。ホンマさんは、先月ワタリウムの島袋通浩展のオープニングで語る吉増さんを知って、急速に興味を持ったのだという。あの時は確か、吉増さんは、大野一雄さんの床にいってその微細な動きの感応の話をしていた。まほさんは、吉増さんが透けてるような人だ、まだ子宮の中にいるのではないか、と時折速球を投げていた。
会場には、銅版や、ピンチハンガーに吊るした桜貝。吉増さんが、白川静さんによると刺青は文身というふうに書いたということから
文学の文の字の由来を語っていたが、ぼくは桜貝と刺青からアルタイの古代遺跡を思い出していた。それから弘法大師が持っていた諸尊仏龕という携帯用の枕本尊の小さなイメージが、高野山の伽藍をつくる原動力になった話やら。DVDのキセキモードという追いかける残像と、その前を行く桜貝や、ポケットのMDから流れるジョン・ケージを連れながら、語り続ける詩人。
これは素晴らしく面白い本だ。

それからたまたまテレビでみていたら《ゴーシュ》という名前という本の秒刻体の話をしていて興味をもったそうだ。
アルノー・ホルツという人の徹底自然主義というらしいが、面白そうだ。どこかリチャード・フォアマンも思い出す。

JAZZ ART せんがわ 吉増剛造氏は、6月12日に出演。共演は、大友良英、巻上公一。

2009年2月24日火曜日

はじまることのない禅問答

九州大学の藤枝守教授の招きで福岡に行ってきた。
ちょうどイムズというデパートの8階で、「生態系を聴取する」というサウンドアートのイベントをやっていて、
イムズの屋上に設置した風で音が鳴るエオリアンハープと共演するとのことだった。
ただ、その日は生憎の雨、風は微風で、鳴る気配がないそうなので、CDを用意するとのこと。
会場入口には、蘭がディスプレイされていて、その電流を音に変換していた。
しかし、そこはデパートにつながる場所。ずいぶん外の喧騒が聞こえる。
中央の部屋では、珪藻土を水槽に入れ、空気の音を4面のスピーカーで再生していた。
いにしえの空気が水面に現れている。
奥の部屋は、オーストラリアの作家によるエオリアンハープの演奏が流れていた。
藤枝さんのアイデアで、ぼくは一番奥の部屋から登場し、ホーメイをはじめた。
会場自体に響きがなく、なかなかハードな環境だ。
共演といっても、流れる音はぼくの干渉を受ける様子はほとんどぼない。
しかもたくさんの人が集まった。冬でもあるし音が吸われている。
もう面白い顔だけで、やるしかないような環境である。
でもそこは押さえて、気持ちよさをはずさないように心かけた。
いつもならすぐ脱線するのだが、ほとんど聞こえないエオリアンハープと対峙した。
はじまることのない禅問答のような演奏になっていたかも知れない。

そして次の日は九州大学大橋キャンパスでワークショップ。
こちらはたっぶり4時間もやったのだけど、みんな満足してくれただろうか。
ぼくはこれですぐ福岡を後にするのはどこか物足りなかった。
福岡に早く、ヒカシューで来たいなぁ。
なかなか実現しないものだ。

2009年2月9日月曜日

北千住の裸体、初午の三段重ね

北千住でカナダのカンパニーによるダンスを観た。
だいたいウイリアム・フォーサイスでさえ好みでない自分に
このようなダンス鑑賞は向いてないのだが、
新しいTheater1010という劇場に興味があったので
のこのこと出かけた。
ダンサーは、ニップレスのようなものとパンツ以外は裸体で、
人間以前のサルのような状態を演じていたが、
それはオルフェウスとエウリディケであったらしい。
神話を戯画化していたのだろうが、
心の中でギリシャ神話のなじみなさを知った。
ダンスにおけるフォルムを楽しむには、いかに動くかが
大切であるか。
結局、演出家の教養の限界を感じるに至った。
つまりなかなか楽しみ方がむずかしいものであった。

足早に劇場を後にして、
湯河原で行なわれている初午のイベントに途中参加した。
これは「湯河原をあそべ実行委員会」のエルルカンの伊東シェフ、石葉の小松さん、
そして阿しか里の柏木さんによる企画で、
まず五所神社でジャズをお囃子にして、阿しか里で三河万歳をみながら
三段重ね弁当をいただくというもの。
ジャズ(sax trioだったようだ)には間に合わなかったが、お弁当には間に合った。



三河万歳は、
小沢昭一の本で知っているだけなので、
実に勉強になった。
写真は、旅館「阿しか里」のBlogからの引用である。


幸田の三河万歳

宴も佳境。フレンチレストランのエルルカンの伊東さんから
ランチのプレゼントを1カップルにしてくれるという。
そこで司会の人とのじゃんけん勝ち抜き戦とあいなった。
約70名の参加者の中、
幸運にも、この日じゃんけんの読みがすべて当たって
ぼくはランチプレゼントを見事勝ち取った。

伊東さんのところの料理はかなりおいしいので
また楽しみが増えた。
いまや湯河原で2軒もやっているのが驚きだ。
エルルカンビスとアンリエルルカン
東京や遠くからグルメが食べに来る貴重なレストランである。

2009年2月1日日曜日

シアンクレールに思案なし音にノボセル子供かな


昨日は、富士吉田のシアンクレールという
小さなスペースでのソロの演奏会だった。
リハーサルの後、手作りの吉田のうどん馬肉入りをいただき、
精もついたところでの本番は、口琴、声、セリエテルート、テルミン
と続き、サンプリングとエフェクトでちょっとばかし時間を歪めると
家族連れの子供がのぼせてしまった。
そういえば最前メールで息子から鼻血がでてるとあったので、
実はこの日の気候のせいなのかもしれない。

次の日、朝起きると窓の向こうに素晴らしい富士の姿大きく。

2009年1月25日日曜日

誕生日の餅つき

53歳の誕生日。
湯河原町町内会連合の餅つき大会に小学校へ。
一昨日、小学校三年生のために
コンサートをやったので
三年生の子供たちが、親しげに寄ってくる。
( コンサートの内容は
口琴、笛、トゥバのビデオ上映、ホーメイ、
テルミンとリコーダーの合奏などだった。)
風が強い日でとても寒く、
豚汁に列ができていた。
餅はきなこ、おしるこ、磯辺、おろしなどを
各地区で分担してつくっていたが、
餅つきと連携してなくて
冷たくなったものを食べるという
餅好きとしては、いまいちだった。
だけど
まったく杵を持つこともなく
ただ食べることに専念。

そういえばミュージックマガジンで長いこと連載している
マーク・ラパポート「じゃずじゃ」で
ヒカシュー「生きること」取り上げているらしい。
こちらの本屋になく、
明日あたり小田原の本屋に買いに行かなくては・・。
どんなことを書いてくれたんだろう。

2009年1月13日火曜日

映画「どろろ」にフーン・フール・トゥ

先日テレビで放映された映画「どろろ」を見ていたら
いきなりトゥバを代表するホーメイグループHuun Huur tuの
Tuvan Internationaleが鳴り響いていた。
最初は、
この歌はいいんだよなーと、感心していたが、映画を観ていくうちに、
音楽の継ぎはぎにうんざりしてきた。
商業映画故の志の低さなのだろうが、
いいものを作りたいなら、音楽はありものを使わない方がいい。
しかもタイトルバックには、
Mr.Childrenはあるが、Huun Huur tuがクレジットされていない。
いったいどういうつもりなのか。
音楽担当は、安川午朗、福岡ユタカとある。
たぶん別に音楽プロデューサーがいて、その人の仕業なんだろうが、
音楽を作った方は、あまりいい気分じゃないだろう。
ただ、
原作の「どろろ」は手塚治虫の中でもかなり興味深い作品であることは間違いない。
ストーリーも旧約聖書を思わせるところがあり、
もう一度読んでみたくなった。

2009年1月11日日曜日

アルタイ共和国

アルタイ共和国がワイドショーで連呼されている。
ありえない事態である。
なんでも、
女優の沢尻エリカさんとメディアクリエーターの高城剛氏が昨年、
アルタイ共和国に一緒に、皆既日食を見に行ったんだそうだ。
ぼくはアルタイには4回ほど行き、
アルタイの歌手ボロット・バイルシェフのCDをプロデュースしたりしてきたので、
アルタイと聞くと他人事ではない気分なのである。
ぼくは昨年のその時期は、
隣国のハカス共和国の首都アバカンで皆既日食を迎えていた。
アルタイのボロットから電話があり、
「何でアルタイに来ない?」と言われていたのだが、
アルタイで高城君がロマンチックなプロポーズをしていたなんて
つゆ知らぬことであった。
アルタイはロシア中央政府の手厚い支援で観光立国をめざしており、
今後、日本人もアルタイに注目してくれたら、
とてもうれしい。
しかもふたりはすくに結婚式とのことで、
こんなめでたいことはない。
アルタイ語で乾杯をしたい。
チェ!

2009年1月7日水曜日

無謀な音のはじまり、2009年の始まり



スターパインズカフェでヒカシュー2009年のライブがはじまった。
今回は、七尾旅人くんを迎えた。
彼のお父さんは、ぼくより年下らしいが、
彼は、なかなか落ち着き払ったステージングをする。
ピアノに石橋英子さんが急遽加わり、
まるで七尾旅人の部屋に案内されたような気分になる。
なかなかの才人である。

ヒカシューは、ヴァイオリンの太田恵資をゲストに
最近の曲を中心に怒濤のJAM。
なんとも無謀な音のはじまり、年の始まりである。

写真は、高村章治さんの撮影です。


2009年1月4日日曜日

お正月らしく過ごす。


初日の出。
湯河原の吉浜海岸で、海をみていた。
初島は近く、大島は深く、
さらにその上に浮かぶ大きな雲の島。
実在しないその島は蜃気楼のようにも思える。
光が満ちてくると、
みつめつづけることはできない。
ぼくらは地球に立っている。
そう思える時間だ。
ほっぺたが寒さに赤くなって
家に帰ったら
大好きなお雑煮を食す。
お雑煮ほど地方で違うものはない。
京都は白みそ、
香川ではあんこ入りらしいが
うちのは野菜がたっぷり鳥肉入り。
新潟頸城村出身の母のお雑煮が定番。

初詣は近くの五所神社へ。
ボーリングで汗を流し、
お笑い番組をたくさんみて
子どもと「ラビリンス」という知能ゲームをする。
そこでは宝物を得るために迷路をゆく。

2日には妹の家族も来て、カニと手巻き寿司。
3日は
再びヘタなボーリングをして、
みんなで熱海の中華「味の幸華」へ。
幸華では、
熱海出身の中京テレビの本多小百合アナがいて
店主が紹介してくれた。
いつも幸華はほんとにおいしい。
本多さんも熱海に帰ると必ず寄るという。
今日は、書き初めをする。
2009年は、「学ぶ」「いい歌をつくる」などと書いた。