恩田晃ディレクションによるTPAM初の音楽プログラムを観てきた。
芸術見本市の頃は、副島輝人氏が幾多の日本のフリーなどを取り上げていたが、会場が横浜になり名前もTPAMになってから音楽プログラムは初めてである。「Music Opening Night」というはじまりのはじまりは、まさに原初の音のはじまりに、耳を拓くものだった。
鈴木昭男の創作音具によるパフォーマンスは、BankArtの3階のがらんとした広く冷たい部屋ではじまった。コンクリートの床を歩く瓶の操り人形師のような鈴木昭男。音はコロンクルンと、素敵な音階を奏でていく。
彼は、短い笛をピーっと鳴らしたかと思えば、ヒュルンとならし、さらにはそこに声を入れ、穴の開閉で反響にフィルターをかける。
スプリングエコーの創作楽器アナラポスは空間を深海に誘うミラクルな響き、声を放り込むと、エコーし、擦れば宇宙の音がする。発泡スチロールの薄い板擦り、ボックス擦り、おかしな鳥のように鳴るミラー擦りと、観客の間を、縫うように次々と音を紡いでいった。
奥の部屋には堀尾寛太のセットがテーブルに置かれていた。
揺れる風船が瓶に当たる。その音をマイクで増幅させ、旋回させ、周期を作りLEDライトで、明滅させる。さながら魔法使いか、新手の夜祭りのテキ屋の如き音のつながりで、人を煙に巻く。見ているのか、聴いているのか、どっちでもないようなあやしさがあった。
さて、トリは、インドネシアのビン・イドリス。アコースティックギターに思い切り空間系のエフェクトをかけて、弾き鳴らし、時折高い声で歌う。とびきりへたくそである。それも中途半端に。電子チューナーでチューニングしているのだが音が狂うのは、ギターのネックの調整ができていないからに違いない。歌やギターがうまければうまいで情緒的なものに流れることもあるわけで、これは彼が彼なりにたどり着いた不思議な境界の表現なのかもしれない。
ここに集められた3組は、音楽の生まれる瞬間、落ちていきそうなものを捉えようとしている。
すきまのすきまに読むべきもの。
聴くべきものが提示されていた。
すきまのすきまに読むべきもの。
聴くべきものが提示されていた。
しかし、TPAMの音楽部門、もう少し充実させてもいいのではないだろうか。一部のダンスや演劇に偏りすぎている感がなくもない。だいたい海外から音楽部門のキュレーターは皆無に近い。
これを機会にせめてもう少し音楽をプログラムを拡大して欲しい。
巻上公一
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