2009年7月14日火曜日

天才、平岡正明を追悼する。

言うのが遅くなった。
平岡さんがいなくなると本当にさびしい。さびしすぎる。
昨年のはじめ荻窪のロフトで行われた「シュールレアリスム落語宣言」の出版記念の会で、
ちょっと血圧が高いのかなと思っていたけど、
ぼくがもう7年も出ていなかった横濱ジャズプロムナードのことが話題になり、
ちょうど居合わしたプロムナード委員会のSさんに、奥さんが
「巻上君を出してね」と言ってくれて、昨年のブロムナードにヒカシューで出ることになった。
ご夫婦仲良く、一番前の席でにこにこと見てくれていて、こっちの方がうれしくってたまらなかった。
1981年 ヒカシューの3枚目のアルバム「うわさの人類」を朝日新聞で褒め抜いてくれて、
批判を書いた中村とうよう氏にちょうどハチ合わせた時、とうようさんが「いや平岡さんに一本とられた」と言ったことや、
一緒に内藤誠監督の映画「俗物図鑑」に出たことや、
平岡さんが企画した「浪曲20世紀」というイベントで浪曲、河内音頭の京山幸牛若師匠とヒカシューが共演してツアーをしたり、
その岡山公演がはねた後、新幹線で広島に行き、タクシーで呉に行ってラーメンを食べたことや、
彫りよし三代目のイベントに出たり、団鬼六さんの家に行き、鬼六さんと志麻いずみさんに会って、スッポン食べたり、
野毛の大道芸で売り子手伝ったり、
浅草で、玉川福太郎に一緒に惚れ惚れしたり、
もう思い出が山ほどあってとても整理できない。
それで遅くなった。
とても書ききれないのである。

葬式では、田中優子さんや、山下洋輔さんの弔辞に泣けて泣けて、
お経を読んでいるのが上杉清文上人や毎月福神の会で会っている仲間たち。
栗本慎一郎さんもいた。
平岡さんの小説「皇帝円舞曲」のモデル集合だ。
いつまでも平岡さんの話をつづけることで、平岡正明の天才ぶりを讃えていくことが、
残されたものの使命である。

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