2016年2月21日日曜日

<外>の千夜一夜 赤レンガダンスクロッシング for Ko Murobushi

多摩川のワークショップ終えて、横浜赤レンガ倉庫「赤レンガダンスクロッシング」へ。

到着すると第一部が終り、ちょうど休憩時間だった。
次は、大谷能生、山川冬樹、JUBE(上手から)のトリオである。3人が登場。中央の山川はシャツを脱ぎ、心臓をトリガーにしてクリックと小さな灯を明滅させる。上手の大谷は、CDJとサックス。下手のJUBEは、マイクをカオスパッドに繋げているようだ。山川とJUBEは、シンバルを2つセットしている。心臓のクリックがはじまると、JUBEが「夜のしじまに・・・」と日本語のラップを始めた。このようなセッションで言葉はかなり気恥ずかしい。通常のラップでは、いいのかもしれないが、あまりにも磨かれていないし、しばらく聴いていたが、内容が停滞していて思考のジャンプがなく、リズムもマンネリになってしまう。打ち破るように山川の咆哮のホーメイとシンバルが響くが、抽象的な音は、言葉の背景になっていく。おそらく山川や大谷が、それに呼応してまったくレイヤーの違う言葉を呟いていたなら、よかったのかもしれないが、もっと冴えなくなる危険を孕んでいる。
結果、ぼくにはとても凡庸に映り、もっとスパークしないものかと、やきもきした。

吉田アミの作品は、むさ苦しい男たち(川口隆夫、岩渕貞太)が出てきて、コンビニの袋持ち、リラックスし、パンツになる。どうも部屋での振る舞いを作品にしたものかと思う。
楽は吉田アミと吉田隆一の録音だ。吉田隆一の即興は、武満徹の「Air」からの音列と、「Voice」からの引用だという。
これらは武満徹晩年のフルート曲。吉田隆一は武満の命日の追悼を室伏鴻のメモリアルにぶつけてきた。どういうつもりなのか。
バリトンサックスに、金切声が通底*していく。*重力のある金切り声である。
男たち(大橋可也を筆頭に)の貧相な身体が滑稽で、コミックから抜け出したパフォーマンスのような感触を持っていた。ただとりたてて大きな展開のないパフォーマンスで、最後はずっと舞台をコントロールしていたかのように(上手から下手に移動して)いた吉田アミが花を手向けた。なにかもうひとつ必要な気もしたが、吉田アミがこうゆう作品作ることが知れてよかった。
昨日は、生演奏でしかも男たちは裸だったそうだ。(会場との問題が起き、この日はデカパンを履いていた、かえって臭うような姿にみえたものだ。)

次の飴屋法水のパフォーマンスは才気に溢れたものだった。
本人曰くレニーブルースを見たことはないけど、そんなスタンダップコメディをやるとのこと。
ハナから意味不明である。
そして、飴屋法水は、メキシコ空港で倒れた室伏さんの連想からメキシコでの自身の作品(日本の黴菌vsメキシコの黴菌)やメキシコの地理(つまり南米ではなく北米ということ)、習俗(死者の日の街中ガイコツ)を語り、レニーブルースとは似ても似つかないスタンダップコメディを演じた。後半、さまざまな銃声のサンプルを再生する。
最後は原爆。気絶するほどの長い余韻で、ぼくは意識を失いかけた。



赤レンガダンスクロッシング
川口隆夫と大橋可也と岩渕貞太と吉田隆一&吉田アミ
山川冬樹xJUBEx大谷能生
捩子ぴじんx安野太郎x志賀理江子、
core of bell
飴屋法水
岡田利規
空間現代 ucnv

20日、21日 キュレーション:桜井圭介 大谷能生

2016年2月13日土曜日

ザ・バスハウス・ショウ

ザ・バスハウス・ショウ 2016年2月13日出演: Melt-Banana、ヒカシュー、Boys Age、the fin. and 40visual artists from around the world狛江市1-8-8岩戸南海 日本橋銭湯


この日は、清水一登が参加できず、吉森信が助っ人に来てくれた。
この企画は、ドロシー(南アフリカ出身)とエラ(オーストラリア出身)という二人の女性によって企画されたもので、
エントランスフリー。
東京狛江市の取り壊される予定の旧・日本橋銭湯を使っての一夜限りのアートと音楽のイベント。
で、こちらのギャラもフリー。
(だから来た人はせめてCD買って欲しかったが)
たぶん延べ人数は、700人くらい来たんじゃないだろうか。
こうたくさん来るとなかなかCDは売れない。
そればかりか、最初のMelt-Bananaの演奏中に、お巡りさんがひとり走ってやってきた。
一応、音が大きな順に演奏するという計画だったようなので、
そういう事態を想定していたのだろう。
Melt-Bananaの演奏は20分くらい。映像も相まって轟音の渦が心地よかった。
AgataくんとYasukoさんと久しぶりに会えて、話せた。


お巡りさんは帰り、ヒカシューもセッティングし、ドロシーさんに
「なるべく小さな音で演奏してください」と言われたのだが、
正直不可能に近い。
「じゃ、小さい音から始まって・・」
とみんなに指示した自分が、のっけからヴォイスで突っ走ってしまった。
25分ほど演奏したところで、メンバー紹介をして、もう一曲やろうかと思ったら、
どうやらお巡りさんが3人来たようで、これで演奏を終えた。

なにやら幻のようなイベントだったから、
きっとずっと語り続けられるんじゃないだろうか。

Time out Tokyoのレポートはこちら


P.S.
主催者のおふたりは、近隣にかなり前から挨拶回りして、この日もたくさんの近所の人が、次の日壊されてしまう銭湯を目撃にきています。念のため。


2016年2月11日木曜日

大野慶人さんとエストニアのティートと BankArtで。


from left Eloise Kask, Koich Makigami,i Yoshito Ono, Teet Kask

大野慶人
レクチャー・パフォーマンス「それはこのようなことだった」

初めて土方巽の作品「禁色」に出演した時、の
からだを固くするというダンスの方向、
飛翔ではなく、重力という方向。
そして鶏を押さえて「ジュテーム」と耳元で土方が3回言ったこと。
そして、舞踏譜を語りながら実演してくれたパフォーマンス。
すべてが興味深かった。

友人のエストニアの振付師のティートとそのお嬢様も感動。





T.H.Eダンスカンパニーの「オーガニック・カオス」

エストニアの演出家で振付師のTeet KaskBankArtで待ち合わせして、赤レンガで開催中のYOKOHAMA DANCE COLLECTIONに参加しているシンガポールのT.H.Eダンスカンパニーの「オーガニック・カオス」というダンスを観た。カンパニーの芸術監督のクィック・スィ・ブンとレジデンス・コレオグラファーのキム・ジュドクとの対話によって生まれた作品だという。
「不条理で混沌とした世界における、普遍的な人間の有り様、社会情勢への呼応がコンセプト」とのこと。
で、最初日本の女の子6人がパンツを見せながら踊り始めたのには驚いた。ちょっと気恥ずかしい感じで、あれって思ったが、これはただの前座だった。
オーガニック・カオスは、上手前方に新聞の山があり、その後ろに寝たダンサーの口にハモニカを置くところからはじまった。ドーンというマイクを叩く、ビジネスマンのような二人組。バスドラのような低音はマイクを叩く音。
オーガニック・カオスは、すべての音をマイクとそのエコー、ハーモニカで作っていく。
ダンスがありものの音楽を流すのではなく、ダンサーが音を紡ぐのは、音楽以上の効果がある。作品は即興の積み重ねによってできあがっているようで、その効果をみながら構成されているのがわかる。
動き、音のアイデアは、ヨーロッパのダンスカンパニーに似たところがある。
彼らはヨーロッパのダンスシーンから多くを学んだのではないか。
しかし、後半はアイデアが繰り返しになり、発展していかなくなったのは残念だ。観客の興味をつなぎ止めるには、もうひとつ必要だ。あるいは短く終わってもいいのではないだろうか。

湯河原宮上幼稚園造形展の素晴らしい構成


2016年2月9日火曜日

今日も横浜のBankArtで開催中のTPAMに行った。

今日も横浜のBankArtで開催中のTPAMに行った。特別鼎談「新しい広場」スピーカー:姜尚中、平田オリザ、モデレーター:岡田利規 を聞く。

姜尚中は熊本県立劇場の館長に就任したて。平田オリザはハンブルグでオペラの作演出してきた。モデレーター向きとは言えない岡田利規も世界各国で上演している。こんなことなかなか知りようがないのは何故なのか。
姜尚中は、日本にわくわくする広場が失われた、という。最近しばらく赴任していたライプツィッヒには、まだそんな広場があるという。
平田オリザは、成功している瀬戸内国際芸術祭で北川フラムに、地元のアーティストを使えと言った香川県議員の、わかってなさを指摘した。
平田オリザは、サッカー選手が地元から世界へ行き、勝負できるようになったことを挙げ、地方の劇場でも、そのつもりがあれば可能性があるが、現実はまだ意識が低いと語った。
ぼくはとあるS劇場の優れた芸術監督だったライプツィッヒ出身のPのことを思い出した。同じT学園に務めるとある准教授のやっかみで、根も葉もない怪文書が出回ったことがあった。意識が低いどころかタチが悪い。


Jazz Art せんがわのようなあり方もギリギリで成立している。

これを続けさせてくれている調布市には感謝しているが、

予算が半額になった時は、もうできないと落ち込んだものだ。

しかしミュージシャンの友情だけで危機を乗り越え、

世界に恥じないフェスティバルを作ろうとしている。

フェスティバルは小さな町を世界に羽ばたかせる力を持っているのだ。


KAATに移動して、マレーシアのマーク・テのBalingを観劇。1955年のバリン会談の再現は、レクチャースタイルの演劇のスタイルで上演された。内容はとても衝撃的だった。
マラヤ共産党のチンペンの亡命先のタイでの晩年のインタビューはさらに驚きだった。
年老いたチンペンにあったのは、空白だった。
その空白の中、「自分はマレー人だ。マレーに帰りたい」とはっきり語ったのが印象的だった。国家及び政治によって引き裂かれる人間性は、現代の大きなテーマとして響いてくる。

終演後は、県民ホールに移動。
シンガポールの10人編成のジ・オブザバトリーを観る。
ジ・オブザバトリー 謳い文句が凄い。
ノイズ、ロック、そしてメランコリー。動揺し分断された共同性。抑圧の新たな形式が抵抗の新たな戦略とぶつかり合う場所。
実際は、ガムランとサイケロックの融合であるが、
ステージに身体の躍動が皆無なのはなぜなんだろう。
演奏や演奏者にオーラがないのが気にかかる。
優等生のような初心者のような(熟練しない)ミュージシャンたち。
リバーブがかかりすぎた歌声。
音程が少しはずれたコーラス。
それにかぶさるように映写される模様の変化だけの映像。
楽しめない訳ではなく、ほどよく悪くなくて、褒めるほどでもない。
この既視感は何なんだろう。
違う時代にいる感覚が呼び覚まされたとも言えよう。

シンガポールの人間が、ガムランを音楽に導入する時、歴史的にそこにはなにか特有のためらいがないだろうか。そういうことを知りたい。
彼らは、現代音楽の立場からガムランに接近したルー・ハリソンやラ・モンテ・ヤングのことはどう思っているのだろうか。
いやいや、たぶんもっとシンプルな動機だろう。

これはアジアからのアンサーだと言えるだろうか。
(そういうつもりもないだろう。おそらく教養が共有されず、分断されている。論評するものすらいない。もっと安易に納得しない思考を鍛えたい。)


いろいろ考えさせられた日であった。


恩田晃ディレクションによるTPAM初の音楽プログラム。

恩田晃ディレクションによるTPAM初の音楽プログラムを観てきた。
芸術見本市の頃は、副島輝人氏が幾多の日本のフリーなどを取り上げていたが、会場が横浜になり名前もTPAMになってから音楽プログラムは初めてである。「Music Opening Night」というはじまりのはじまりは、まさに原初の音のはじまりに、耳を拓くものだった。
鈴木昭男の創作音具によるパフォーマンスは、BankArtの3階のがらんとした広く冷たい部屋ではじまった。コンクリートの床を歩く瓶の操り人形師のような鈴木昭男。音はコロンクルンと、素敵な音階を奏でていく。
彼は、短い笛をピーっと鳴らしたかと思えば、ヒュルンとならし、さらにはそこに声を入れ、穴の開閉で反響にフィルターをかける。
スプリングエコーの創作楽器アナラポスは空間を深海に誘うミラクルな響き、声を放り込むと、エコーし、擦れば宇宙の音がする。発泡スチロールの薄い板擦り、ボックス擦り、おかしな鳥のように鳴るミラー擦りと、観客の間を、縫うように次々と音を紡いでいった。
奥の部屋には堀尾寛太のセットがテーブルに置かれていた。
揺れる風船が瓶に当たる。その音をマイクで増幅させ、旋回させ、周期を作りLEDライトで、明滅させる。さながら魔法使いか、新手の夜祭りのテキ屋の如き音のつながりで、人を煙に巻く。見ているのか、聴いているのか、どっちでもないようなあやしさがあった。
さて、トリは、インドネシアのビン・イドリス。アコースティックギターに思い切り空間系のエフェクトをかけて、弾き鳴らし、時折高い声で歌う。とびきりへたくそである。それも中途半端に。電子チューナーでチューニングしているのだが音が狂うのは、ギターのネックの調整ができていないからに違いない。歌やギターがうまければうまいで情緒的なものに流れることもあるわけで、これは彼が彼なりにたどり着いた不思議な境界の表現なのかもしれない。
ここに集められた3組は、音楽の生まれる瞬間、落ちていきそうなものを捉えようとしている。
すきまのすきまに読むべきもの。
聴くべきものが提示されていた。
しかし、TPAMの音楽部門、もう少し充実させてもいいのではないだろうか。一部のダンスや演劇に偏りすぎている感がなくもない。だいたい海外から音楽部門のキュレーターは皆無に近い。
これを機会にせめてもう少し音楽をプログラムを拡大して欲しい。

巻上公一

2016年2月7日日曜日

ピチェ・クランチェン・ダンス・カンパニーの『Dancing with Death』

タイ東北部のルーイ県で開催されるピーターコーンフェスティバル。ピチェ・クランチェン・ダンス・カンパニーの『Dancing with Death』は、その伝統的な祭りをヒントに制作されたという。仏教の説話を元に、厄払い、ご利益を得る祭りらしい。また、雨乞いの意味もあるという。「ピー」は霊、「ター」は目、「コーン」は仮面劇という意味。奇妙な仮面を纏った人々によるパレードだ。会場に入ると、早くもピーターコーンの獅子舞のようなものが出迎えてくれている。なんだかそれは、いていいのかわるいのか、みえているのかいないのか、わからない存在のような佇まいだ。ステージには、まるでメビウスの輪を思わせる楕円状の装置。この上に上がる行為がひとつのイニシエーションのようであった。ちょうどトルコの旋回舞踊のはじまり、旋回する前に黒い装束を脱ぎ、白くなり、肩をさわられて旋回していく様子に似ていた。