2010年12月26日日曜日

サイケデリッククリスマス!


photo by Tadamasa Iguchi(Qetic)


キノコホテル
素晴らしいバンドだった。

クリスマスのイベントに選んで大正解だったよ。

支配人ことマリアンヌ東雲さんに
ヒカシューの「20世紀の終りに」の「いやよ」や
「幼虫の危機」の叫びまでやっていただいて
感謝。

この日
戸辺哲 多忙のため出席できず
戸辺さんのファンには悪い事をしてしまった。

3年続いたクリスマスイベント!
絶対に来年もやろう。

QUETICにレポートが載っています。
ここ

2010年11月22日月曜日

チャンギハと顔たちと渋谷Lush



チャンギハと顔たちとヒカシューが渋谷Lushで共演した。
チャンギハの記念すべき日本での最初の歌は
ヒカシューの「人間の顔」。
彼は、なんと日本語ですべて覚えてきてくれた。
素晴らしくて、感謝する。

チャンギハは才能高き若者で、
歌、詩、曲、パフォーマンスのバランスが絶妙である。
特に詩にみるべきところがある。
すでに韓国で大人気だが、日本でも人気がでるだろう。
ようやくアイドルじゃない韓流がやってきたのがうれしい。

1)チャンギハと顔たちは、韓国のロックグループ。日本デビュー盤がこのほどP-VINEから発売になった。

2010年9月21日火曜日

カオリのオカリナ

カオリさんの作るオカリナ 写真だけでは分かりにくいので
ムービー付けました。

アルタイの町にトリオのポスター

ノボシビルスクから
アルタイ共和国の首都ゴルノアルタイスクまで車で9時間。
ノボシビルスクの通関が厳しくて長蛇だったため
着いたのはもう夜。

一夜明けて、新しくできあがったドラマシアターに行くと
われわれのトリオАЯ(アヤ)のポスター、しかもかなり大きい。



UN(国連)の事務所に行き、友人に会いハワイコナの珈琲をご馳走になる。
バニラの香りのするフレーバー珈琲は、いまひとつアルタイ気分に似合わない。
お昼からドラマシアターで記者会見が行われた。
アルタイテレビの取材も受け、
アルタイ日本文化センター<キン>を立ち上げたエドワードさんにも対面。
<キン>は、金のことかと思ったが、どうやらアルタイ語で「へそ」という意味とのこと。
キリル文字で書くとКИНだ。



夕方、グレゴリーという人を乗せて少し郊外へ。
アルジャンスーという湧水で有名な土産物屋が軒を連ねるところを見学。
口琴の看板が目に入った。

そこからもうしばらく東へ行くとチェマルという村がある。
ここにグレゴリーの友だちでユダヤ人のカオリというアーティストが住んでいて、
ユニークな形のオカリナを作っている。
ボロットは彼女の作品をステージで使っていて、そのフォルムには見覚えがあった。
シャーマン風の太鼓もあり、
マサが叩いて「いいなぁ、でも重い」
「いくらなんだろうね」
マサの妻である香ちゃんがカオリの写真を撮る。
「イスラエルの歌謡曲に昔ナオミの夢ってのがあったよねー」
「あっちの名前かな、ユダヤの」
オカリナも含めけっこういい値段がしたので、ひとつも買わずに
グレゴリーさんの家に。
部屋にあった普通のコンガを指して、
「これ使ってもいいよ」
マサは困惑。「シャーマンの太鼓はほしいけど、コンガはいらないな」

2010年9月20日月曜日

【АЯツアー】 ノボシビルスクに到着



はじめてのАЯアルタイツアーにわくわくしていた。
今年の春、アルタイ共和国を代表する歌手ボロット・バイルシェフを日本に呼んだ際、
アルタイに日本文化センターを作る話があり、そのオープニングに合わせて、
АЯの公演をしようとという話があった。
だいたいの日程を決め、飛行機の予約に入り、
8月の上旬に北京経由のシベリア航空のチケットを購入した。
ところが、
8月の下旬になって、ボロットの代理チャガットから今度のツアーをキャンセルしたいとメールがあった。
ボロットは病院にいる。文化大臣との交渉にも失敗したとあった。
出発1ヶ月を切っていた。
ぼくが購入した航空券は、払い戻し不可のもの。
このまま無駄にするのもったいない。
コンサートはなくてもいいから、とにかくアルタイに行くので招待状を出して欲しいと返信した。
そして、なんとかビザを取得し、北京経由で無事ノボシビルスクに到着したのである。

2010年8月28日土曜日

福生のカニ坂ロックフェス



福生のカニ坂ロックフェスで、
舞踏の招魂舎痴明氏とパフォーマンスをした。
32年ぶりくらいに福生に来た。

口琴をたっぷり
テルミンもゆったり
友人たちへの鎮魂の夕べだった。

フジロックとはまた違い
小さな規模で
なんともゆるい雰囲気の素晴らしいフェス。
入場無料。


2010年8月20日金曜日

イワンチャイというものの正体を探る


トゥバの南シジムの方に行って知ったお茶。
イワンチャイ Иван Чай。
ロシア語の辞書で引くとヤナギランと出てくるのだけど
ぼくが飲んだのは、明らかに白い花で、ヤナギランのような赤味がないものだった。

Googleで検索すると「ロシアの飲み物」というページがあった。
このページの作者もヤナギランではないと思っているらしく、
ノコギリ草に似ていると書いている。

またこの引用も興味深い。

「イワンチャイにロシア産白色粘土とかを混ぜた飲み物で、テイン(カフェイン)を含まず身体にも歯にも良いとされた薬用ハーブティーがロシアの重要輸出品目のひとつだった時代があったが、17世紀以降、イギリスが紅茶市場を独占する過程でこの対抗商品であるイワンチャイをめぐって生臭い商戦があり、イワンチャイは最終的に市場から駆逐された。」

17世紀にシベリアに逃げてきたロシア正教古儀式派の村で飲んでいるわけだから、
飲むだけで歴史の住人になれる。
ノコギリ草は、Achillea sibirica (Sibirian yarrow)なので、まさにシベリアの花。
ロシア語だとトィシャチェリストゥニク アピクノベニー(тысячелистник обыкновенный)となる。
通称は凄いよ。アキレス、ガチョウの葦、草コオロギ、ユダヤ人の草、タイル草、羊の舌。

2年前に同行したイワンくんが、トラヴァ茶(трава Чай)と呼んでいた。
訳すと「草のお茶」だけど、ノコギリ草という時、この名前は妥当かもしれない。


このお茶とてもおいしい。
野の滋味がする。
ただし
日本に持ってくると、どこがおいしいのかわからないと不評である。


もう少し調べてみよう。

2010年8月12日木曜日

ウラジオストクの潜水艦博物館



アバカンホテルロビーに午前3時半集合。朝6時の飛行機に乗る予定だった。
空港に行くと朝早くから売店もやっていてアルタイのホムスも売っている。
飛行機はモスクワの山火事の影響なのか1時間の遅れ。
やっと飛行機に乗れたのはいいが、席が決まっているはずなのに相変わらずの自由席状態。
これはいいかげんに直してもらいたい。
5時間のフライトでウラジオストクに到着。
その日はヒュンダイホテルでプルコギを食べ、
次の日は潜水艦博物館や展望台に行った。
夜バーに行くと、冴えない男がロシア人女性連れてダンスしていた。
後日、その人物がNHKの家族に乾杯のウラジオストク編に登場していたことが判明。
名前まで知ることになった。
日本に帰国の日、途中昼にに寄ったアルメニア料理店アララトのシャシリックはうまかった。

2010年8月9日月曜日

マントラの書かれた山



クズルの小高い山にチベット仏教のマントラが書かれている。
オム・マニ・ペメ・フム
今日これからトゥバを離れようとする日、オトクンがクルマで頂まで行くという。
すでにお坊さんまで同行している。



頂上からの眺めは360度のパノラマ。
ここに仏舎利なのか仏像なのか
オベリスクを建てる計画のようだ。



ホテル前に戻ると、
シュールー・オパールさんとナージャさん。
さらに
ホーメイセンターのゾーヤさん、キーラ、バーニャ。
アンドレイ・モングーシュなど
みんなが会いに来てくれた。

2010年8月8日日曜日

馬に乗りキシクラワーを摘まむ。



朝、外でブリヌイ(ロシアのクレープ)を焼いているの見ていたら
熱々のできたてを畳んで手渡してくれた。
「熱々は格別でしょ」
朝食のカーシャ(粥)も自然の甘味のみ。
天恵に舌鼓なり感謝なり。
そして、
ミハエルさんが馬を連れてきて、乗せてくれた。
ちょっと散歩程度の騎乗だが、
ミハエルさんがキースリッツァ(酸っぱい子ちゃん)と呼ぶベリー、
たぶんキシクラワー(アカスグリなのかな)を野で摘み、
ほんとに酸っぱい実を食べた。




実は昨晩遅く、日本語堪能なアイドゥンくんが、彼女と一緒に羊一頭を持ってきていて、
朝からバラン(羊の解体)を始めていた。
こういう時のトゥバ人の生き生きとした様子は、筆舌に尽くしがたい。

昼には完成。
最上の客人振る舞うドーシャとスープにハン(血のソーセージ)を入れて、
持参の柚子コショウもかなり合う。

ワークショップはクライマックス。
オッペイさんの言葉が多くなり、とても翻訳できないほど。
さりげなく他のホーメイジの批判も織り交ぜながら、
この出会いに大きな感謝していた。

夕方たった一泊なのに、胸いっぱいの思い出を詰めてこの地を後にした。

ほぼ全員何かの菌にやられて
おなかがかなり緩かったのに、乗り切ることができたのはなにより。
夜11時頃無事クズルに戻った。

2010年8月7日土曜日

悪路を越え、エニセイを渡ってエルジェイへ。



クズルから南へまさしく悪路をくね走り5時間。
シジムからエルジェイへ。
ロシア正教会の古儀式派 (Старообрядчество) が移り住んでいる町だ。
手動のフェリーで川を渡り、さらにボートで川岸のキャビンに。

スープ、パン、じゃがいも、ミルク、Сима́のグリル、イヴァンチャイ(Иван Чай)。
すべてが夢のごちそうのような滋味。
優しい味をしている。




夕食後、ロシア民謡と日本の歌を交互に歌う夕べ。
もちろんセヴェックのカルグラ、オッペイのホーメイ。
オトクンの口琴もシミジミ。
夜空は満天。宇宙が降り注ぐ。

2010年8月6日金曜日

シュールー・オパールさんの豪華パーティー。



トゥバの新博物館を見学すると、雨が降ってきた。
ユルタ(オグ)博物館では、遊牧民の暮らしを教えてくれる。
アルトゥシュ(杜松)を燃やす清めの香りに癒される。
夕方。パーティーに向う。
親戚一同。友人、知人たちに豪華な食事が振る舞われた。
仲間には、ピエロの装束と手品をたくさん仕込んできた人がいて
場を沸かした。
歌は「星降る街角」ワントゥ!
音楽担当の人は、ひとりでキーボード、リズムボックス、歌、ミキシング
すべてをこなしていた。
いつものように後半はダンス。老いも若きも踊り出す。
これぞトゥバ式。

2010年8月5日木曜日

トゥバテレビのスタジオとオパールさんのコンサート。



エルガキ(Ergaki)のロッジから220km走り、昼過ぎにトゥバ共和国の首都クズルのブヤンバドィルグィホテルにチェックイン。
(新しいエレベーター!! )
昼食後、みんなはTyvakyzyのチョドラーのワークショップ。
ぼくは隣のトゥバテレビのスタジオを借りて、ふたりのホーメイジのレコーディング。
歌姫ナジェージダ・クーラルのお母様シュールー・オパールさん80歳記念コンサートは、
シャーマンの占いで開催をしないことになっていたが、ぼくらのために
コンサートをしてくれることになっていた。
予定は5時だったが、レコーディングが6時半までかかり、
会場にいってみると、みんながぼくの帰りを待っていた。
到着と同時にコンサートスタート。
モングンオール・オンダール
はじめ錚々たる顔ぶれによる素晴らしいものだった。
夜はチェチェックさん宅で、白いご飯、鳥肉、マンチューの豪華な食事。
家主のチェチェックさんは、ネパール旅行中で不在だったが、
息子さんがSkypeでつなげてくれた。
だけどオパールおばあちゃんのマンチューはおいしいなぁ。

2010年8月4日水曜日

奇岩の山の美しい湖



ほんのわずかなハイキングと思ったら、
約12キロのトレッキングだった。
国立エルガキ自然公園の素晴らしさを堪能した。
しかし、昼過ぎに山頂目指すのは、10時半に日が暮れるこの地のみの無謀か。




ぬかるみに足を取られ、泥だらけのズボン。
雪の残る山の肌。
行者にんにくを取る仙人オッペイさん。
ガイドの山男アンドレイの蚊もさせぬ鋼鉄の腕。
わき水を飲む生きた心地。
あと2キロ、あと1キロ。
それはあと5キロだったり。
しかし到着したときの感動たるや言い尽くせぬ。
なんだろうこの彩色の湖は。

2010年8月3日火曜日

セヴェックのカルグラはほんとうに凄い。

送信者 Tuva2010


朝食後、ワークショップ。
なぜかリーダーはセルゲイ・オンダール。
ただ偶然ついてきただけなのに、一番一生懸命。
セヴェックのカルグラはほんとうに凄い。
オッペイさんのホーメイも熟練の渋味。
発音、舌の位置、喉のかたち、歌詞と盛りだくさん。
詳しい内容はマル秘。
ワークショップは行った人たちの特別な時間だ。
そう簡単に公開するわけにはいかない。
さて、昼食は昨日あきらめたシャシリックに挑戦。
早速、芋を焦がすホーメイジ。
豚肉のシャシリック厚すぎて中までなかなか焼けない。
結局、また雨が降ったりで、4時過ぎの昼になった。
でもシャシリックおいしいウォッカによく合う。
7時からは、バーニャ。白樺の枝でばっさばっさと。

2010年8月2日月曜日

トゥバの自然とホーメイを満喫する旅



ウラジオストクから5時間のフライトでアバカンに到着。
出口には、ホーメイ歌手のセルゲイ・オンダールが偶然いて握手。
彼は4年ほど前からアバカンに住んでいる。誰かを待っていたのだろうか。
預けた荷物を受け取ると、オトクン(今回の企画者)が登場。
13人乗りのバスに乗り、180キロトゥバへの道を行きエルガキ自然公園のキャビンに到着。
なぜかセルゲイも手ぶらで同乗して来た。
「こんにちは」
流暢な日本語で迎えてくれたのは、アイドゥンくん。
ウラジオストクの大学で日本語を勉強し、9月に日本に留学する予定だという。
エルガキは、ロシア共和国クラスノヤルスク区に位置している。
アイドゥンくんはトゥバのクズルからわざわざクルマを飛ばして挨拶に来てくれたようだ。
すでに今回のワークショップのマスターであるアルドェンノール・セヴェックさんとオッペイ・アンドレイさんが到着していた。
アルドェンノール・セヴェックさんは、ムングンタイガから。
オッペイ・アンドレイさんは、バイタイガから。
ふたりとも4000m級の山に住んでいる。
さて、夕飯はシャシリックのバーベキュー予定だったのだが、雲行きが怪しい。
山の天気は変わりやすく、雨がぱらつきはじめ、レストランキャビンでの夕食に変更した。

2010年8月1日日曜日

ウラジオストク行は今年からなんと成田発着便!!



ウラジオストク行は今年からなんと成田発着便!!
成田出発時の一番の驚きは、成田でルーブルに替えられたこと。
そればかりか、ウラジオストクで円からルーブルに替えられたこと。
知らない人にはなんの驚きもないでしょうが・・・いままでにないことです。

2010年7月30日金曜日

フジロック雨そして快晴の変化




吉祥寺のGOKでリハをして、苗場に前日入りして、ずぶ濡れで食べたカレー。
スタッフの手違いで10分早くはじまったステージ。
ヒカシューのTシャツとぼくはヨーガンレールにフジロック用に提供していただいたTシャツ。
フジロックにパタフィジックな音楽を持ち込めたかな、ヒカシュー。
やっぱりリハした曲はやらなかった。
なんていいかげんヒカシュー。

いろんな友人たちにも会えたのはうれしい。
意外にいっぱい集まってくれて感謝します。


撮影 池田“Soulgraph”まさあき

2010年7月1日木曜日

JAZZ屏風も新調。今度は白くて鏡張り。

JAZZ屏風も新調。今度は白くて鏡張り。
早くも子供に人気。





JAZZ ART せんがわのアートパレード用帽子

JAZZ ART せんがわのアートパレード用帽子を制作していただき、
先日、そのお披露目があった。
この帽子で、7月9日 午後4時から仙川の街を練り歩きます。






2010年3月29日月曜日

声の洞窟さがして3日間。

声による即興。ひとり20分。
青山円形劇場での公演は、年度収めの時期もあり、集客には苦心した。
永六輔さんの土曜ワイドに出演したり、FM東京にもだしていただいた。
初日は、朝日新聞も情報を載せてくれた。
そのおかげで、なんとか席はうまり、プロデューサーとしてはほっとした。
しかし
プロデューサーを兼任していると、
自分が出ることはすっかり忘れているから困ったものだ。
だけど声だけっていうのは、ホールに限ると思う。
ライブハウスじゃないな。
吉田アミ、蜂谷真紀、灰野敬二、さがゆき、天鼓
みんな素晴らしかった。
ありがとう。

2010年3月22日月曜日

孔子縞于時藍染




イクエさんが新作の録音に参加して欲しいというので、
ノースウエスト改めデルタ航空JFK行きに乗って、
ニューヨークへ。

到着した日の夜、TONICでROVA saxophone quartet に
ゲストJohn Zornを観た。
会場で、詩人のSteve DalachinskyとかDMGのBRUCEとか旧知の人に途端に会えるのも
さすがNYC。
次の日は
地下鉄6番に乗ってY92という92丁目のスペースへ。
Yoshiko Chuma & The School of Hard Knocks公演。お
おたか静流さんの歌がいい。

月曜日、スタジオイーストサウンドへ。
モリイクエさんのvisual piece KIBYOUSHIの新作は、山東京伝の孔子縞于時藍染。
江戸時代の黄本の道徳テーマは実に不可思議。
物もらいまでもが、孔子に習うほど、孔子が流行しているというお話。
イクエさんが操作するリミティッド・アニメーションがほのぼの奇妙。
これにエレクトロニクスが加わり、独特の新世界を作り上げている。
ゲストは、ぼくとMark Nauseefさん。
いい音楽ができたと思う。

2010年3月9日火曜日

沖縄で「日本の音フェスティバル」

沖縄の「日本の音フェスティバル」から帰ってきた。
これはJASRAC70周年イベントとして邦楽ジャーナルが企画構成したものだ。
北はアイヌのムックリから、琵琶、笙、篳篥、尺八、琴、三味線、そして沖縄の三線に至るまで
すべての楽器をじかにさわり子供でも演奏できるのが、このフェスティバルの凄いところだ。
コンサートでは坂田明さんやおおたか静流さんたちにまじって、ぼくもステージに立った。
この3人に共通なのは、大きな潮流とかけ離れているという点か。
それが「日本の音」の代表のように出れるところが、このフェスの懐の深さだ。
また
沖縄アジア音楽祭との関連で、モンゴルのオルティンドー、ホーミーや韓国のパンソリも見れた。
西表の石垣金星さんというベテランや奄美の若手前山真吾さんとも知りあえた。
パンソリのイ・ジャラムさんは、ブレヒトをパンソリにするなどなかなかの現代派らしい。
三味線の三糸、ツグカジコト、平敷屋エイサーもよかった。
参加してなかったが大工哲也さんにも会えた。
時間がある時は、琵琶の部屋で、石田克佳さんや須田誠舟さんに琵琶を習えたし、
尺八の遠藤直幸さんとか若い人たちに尺八も習えた。もちろん雅楽にも参加。
なかなか充実した2日間だった。

2010年2月17日水曜日

最後の評議員会

JASRACの評議員会が45年間の幕を閉じた。
法律が変わって
法人として現行法に制度を合わせるためだ。
気がつけば
小林亜星さんの応援のために評議員になって
10年も経っていた。
JASRACは少しは正気を取り戻せたのではないかと思う。

しかし
若い人にもっと会員になってもらわなくては、
音楽出版社中心になってしまい、
JASRACは作曲家や作詞家の団体ではなくなってしまう。
たまに
入会している作曲家が、
異議があっても、JASRAC本体に文句をいわず
他所で愚痴を言っている時には腹立たしく思う。
規模がでかいので遠く感じるのもわかるが
会員資格をもっているなら、少しでも変えられるはず。

自分が変えれるものを変えようとしない者は
何も変えれない。

驚くのは、
会員でもないのに会員だと思い込んでいる作曲家。
これは割といる。
なのにJASRACを辞めたと豪語していたりすると目が点になる。

信託組織は、会計の透明性が問われる。
徴収分配がいかにクリアかだ。

とりあえず一区切り。

2010年2月3日水曜日

音を生き返らせる仕事

マスタリングエンジニアは、マジックを持っている。
この日は「ヒカシュー1978」という
デビュー前夜のデモテープをもとにつくったアルバムのリマスタリング。
実は、この作品同じサイデラマスタリングで1996年にマスタリングした。
しかし14年後のマスタリングは、もっと音を生々しくした。
進歩、技術、耳
いろんなレベルでの違いが面白い。
DSD5.6MHzリマスタリング 聴いてみてください。

2010年1月23日土曜日

味噌を作る。

昨年さぼってしまった味噌作り。
前回は新潟の星六の味噌だったが
今年は妻が生活クラブで用意。
豆をすり鉢でこぐのが一苦労。
はじめるのが遅かったので深夜になった。

2010年1月21日木曜日

サーメ人のヨイクという歌

今年最初のコンサートは、Inga Juuso (インガ・ユーソ)& Harald Skullerud (ハラール・スクレルー)を
湯河原 檜チャリティーコンサートホールに招いてヨイクという独特の歌のコンサート。
当初はSKAIDIというインガ・ユーソさんとコントラバスのスタイナー・ラクネスさんとのDUOの予定だった。
ところがスタイナーさんの双子の子供が病気だということで、急きょハラール・スクレルーさんが来ることになった。

オープニングは、
ぼくと牧野持侑さんのクリスタルボールのDUO。
ぼくはテルミンで静かにクリスタルの音色に寄り添ってみた。
檜ホールの深い残響で、音が溶け合い、海の底にいるような感覚。
続いて インガ・ユーソさんの喉を転がしながらの自然や動物の歌は、
ハラール・スクレルーの素晴らしいサポートで太古の記憶を運んだ。

アンコールはこの4人で即興的に音を紡いだ。
溶け合うような至福の時間。


2010年1月3日日曜日

初詣

雑煮ほど地方で違うものはないらしいが、
雑煮は新潟県、母の実家のものが好き。
で、
今年は播磨地方に来ている。
かつめしというのがあるらしいが、
まわりの誰も食べたことがなかった。
初詣は、
安産の神様の日岡神社に行く。
おみくじは大吉。
風吹けば風吹くままにとのこと。