2009年10月30日金曜日

ヒカシュー渋谷クアトロ

ヒカシュー渋谷クアトロは、
ジューシィ・ハーフのとても素敵なステージではじまり、
企画して本当によかった。
いきいきとしたものがよみがえり、弾けていた。

そもそものはじまりは、
イリアがアマチュアの合唱団にいて、
高橋悠治のパーリ語の合唱曲のこことで
連絡してきたことだ。
どうも曲を短くしたいということらしいのだが、
それで連絡先を教えてあげたりした。

そこで最近ジューシィ・ハーフというのをやっているという
ニュースを耳にして、
ぜひクアトロのヒカシュー公演に出てほしいとお願いしたのだ。
すぐに快諾はしてもらえなかったが、
悩んだ末のいい返事をもらえた。

結果
ジューシィ・ハーフの魅力的なステージが目の前で実現した。
イリアは、声もギターも出で立ちも、デビュー時のものをすべて持っていた。
トシは、ステージ上で自分が参加しているヒカシューの1stと2ndを宣伝してくれたり、
いつものいいやつぶりを発揮していた。
また
ベースのジェフ氏 ギターのAkishiro氏という好サポートを得て
瑞々しさが際立っていた。

ヒカシューは、三田超人のへんてこダンスからはじまった。
それはステージに登場する30秒くらい前に決まったが
すぐにやってくれるフリーマンは偉い。
途中息切れしてこっちにでてくれと懇願しているフリーマンが見えたので
さりげなく出て行きステージをはじめた。
会場はジューシィ・ハーフが作ってくれた素敵なオーラが満ちあふれていて
会場に一体感があったので、とてもやりやすかった。
応援してくれる人が一人でも多いと、うれしいのが人情である。

この日は
ヒカシューとジューシィを世に出した近田春夫氏も招待した。
ちょうど近田さんがロングインタビューを決行中の裕也さんも
なぜかかけつけてくれた。

アンコールも3回。
楽屋に裕也さんが来て、なにかただならぬオーラをだしていた。
裕也さんは当日券を買って入ってくれたらしい。

裕也さんは
「ヒカシューはやっぱフランク・ザッパ(マザーズ)だな。寺山とも共通のものを感じるよ」
30年前にも言われたことを繰り返してくれた。
これもやけにうれしかった。

12月には近田さんと相対性理論にゲストに来てもらうことにした。

これシリーズ的に続くと面白いなぁ。
ジューシィにもまた来てもらいたいし。

たくさんのすばらしい友だちも来てくれてうれしい一夜だった。

トゥバクィズィ来日公演からヒカシュー



トゥバクィズィ9年ぶりの来日。
彼女たちの上達ぶりに感心した。
9年前は、不安でアンドレイやナデージダ・クーラルをゲストにしたことを思い出す。
しかし、いまもうそんな不安はまったくないすばらしいステージができるグループに発展した。
東京公演と名古屋の入りが悪くて赤字になってしまったのが実に痛いが
今後につながるいいステップになったと思う。


その彼女たちの公演が続いてる中
ヒカシューのツアーがはじった。

2009年10月3日土曜日

スペインから帰りました。

はじめてのスペインから帰って4日経った。
思い出します。
マドリードの空港からタクシーでアトーチャ駅近くのホテルへ。
チェックインして、眠いのをこらえ、高円寺百景を観にライブハウスに行く。
スペインでは挨拶はみんな「オラ」ですましているようだ。
次の日、スペイン浪越指圧のたけしさんがロビーに来てくれて、散歩。
なぜかセファルディの写真展などを見て、浪越指圧の小野田先生に会う。
近くでお昼。はじめてのガスパチョ。
小野田先生の案内でマドリード観光をさせてもらう。
たけしさんに指圧を受ける。
首のコリを実感。
夕食は、イベリコの生ハム専門店で。またもガスパチョ。
次の日、ホテル近くのソフィアアートセンターでゲルニカを観賞。
この日もガスパチョ。
24日、電車に乗り3時間半、カセレスへ。
カセレスは白壁の町。そのはずれにウォルフ・フォステルのミュージアムがある。
彼はフルクサスのメンバーだった。
廃棄されたクルマ、テレビを使ったインスタレーションは強烈。