2008年6月3日火曜日

サウンドアナトミア出版記念ライブ

新宿ピットイン、
北里義之氏のリクエストで組まれたプログラムは、
まず、大友良英(turn table)、中村としまる((no-input mixingboard)
巻上公一(voice,theremin)のトリオ。
ぼくはFreq Boxを使って、テルミンの音程以外にもうひとつのメロディーをフットペダルで演奏した。中村としまるとの演奏ははじめてだったが、mixingboardの音は、電気信号の演奏と言えよう。
大友良英は、ターンテーブルの針音までをも演奏にしていた。
一種不自由さを自由にした2人を両脇に、近所を散歩するような演奏をした。
音の方は、吉増剛造を待つ前から、ぼくらは冥界入りしていたようだった。
続いてぼくはSachiko MとのDUO。
長いつき合いだがDUOをするのは初めてだった。
サイン波を演奏するというのは一種の冗談のようにも思えるが
ちょっとした本気なのである。
それはSachiko Mが、ニュースやナレーションのサンプリングから出発してたどり着いた目から鱗の方法である。
ぼくはそのサイン波により決定された間断の絨毯の上で、
綱渡りをしたり、のんびりしたり、大騒ぎをしたりして、
マンションの別の階にいる人のようになっていた。
しかし、
大友がさっちゃんと会ったのも、
ぼくが大友に「ピクニックコンダクター」という芝居の音楽と演奏を依頼したのが
ふたりの出会いだったのだから、感慨深いものがある。なんと1991年のことである。
あの芝居の時に、ぼくはスピーカーを客席のさまざまな場所に仕込むことを考え、
音響の実験をしていたが、さらにその発展形を大友良英はその後やるようになったり、
あれは近くの未来だったという気がしないでもない。
休憩をはさんで、
吉増剛造の「死人」の朗読。
背広に手製の紙のマスクで口を隠し、洗濯物干しに死んだ物を吊るし
死んだ言葉に、息を吹き込んでいた。
それは吉田アミの微音のヴォイスを意識して
かすれた倍音でよりそっていた。
大友良英は、ギターにカリンバを乗せたり
演奏にやっきだった。それはかなりよくできていて
その巧みな音の構成は、観客に納得を与えていた。
だが、吉増剛造の表現は納得を超える物であり、
その声と内容を大友が感じていたら、もう少し違う物になっていたかもしれないが、
それでもあまりある実に刺激的なものだった。
その後の北里義之、大谷能生よる対談の中で、
大谷能生は、吉増剛造の朗読というものは、
ありていのものだ(テキストリーディングには即興性はない・・)というようことを言っていたが、
あれはどういうつもりなのだろうか。いったい何を聴いていたのか。
(何かを語ろうとして、観賞が安易な定型に左右されたのか)
吉増剛造ほどに詩そのものを音に直結させている詩人を
ぼくは他に知らない。
対談のはじめ、今日の演奏のことをなにやら言っていたらしいが、
飴屋くんの子どもと遊んでいたので聞き逃してしまった。
しかし、おしゃべり運びがヘタな対談だった。
もちろん、うますぎないからいいという面もあるのだが・・。
時間感覚、ジェンダー、空間、呼吸、触覚
ふたりの思考はその言葉によって最前起こったことをプロトタイプに押し込めはしなかったか。
北里義之に、ライブの現場に3年ぶりに来た喜びが溢れていて
なんともほほ笑ましかった。

終演は11時半、たっぷりでもまだ足りない感じのイベントだった。

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