2010年3月29日月曜日

声の洞窟さがして3日間。

声による即興。ひとり20分。
青山円形劇場での公演は、年度収めの時期もあり、集客には苦心した。
永六輔さんの土曜ワイドに出演したり、FM東京にもだしていただいた。
初日は、朝日新聞も情報を載せてくれた。
そのおかげで、なんとか席はうまり、プロデューサーとしてはほっとした。
しかし
プロデューサーを兼任していると、
自分が出ることはすっかり忘れているから困ったものだ。
だけど声だけっていうのは、ホールに限ると思う。
ライブハウスじゃないな。
吉田アミ、蜂谷真紀、灰野敬二、さがゆき、天鼓
みんな素晴らしかった。
ありがとう。

2010年3月22日月曜日

孔子縞于時藍染




イクエさんが新作の録音に参加して欲しいというので、
ノースウエスト改めデルタ航空JFK行きに乗って、
ニューヨークへ。

到着した日の夜、TONICでROVA saxophone quartet に
ゲストJohn Zornを観た。
会場で、詩人のSteve DalachinskyとかDMGのBRUCEとか旧知の人に途端に会えるのも
さすがNYC。
次の日は
地下鉄6番に乗ってY92という92丁目のスペースへ。
Yoshiko Chuma & The School of Hard Knocks公演。お
おたか静流さんの歌がいい。

月曜日、スタジオイーストサウンドへ。
モリイクエさんのvisual piece KIBYOUSHIの新作は、山東京伝の孔子縞于時藍染。
江戸時代の黄本の道徳テーマは実に不可思議。
物もらいまでもが、孔子に習うほど、孔子が流行しているというお話。
イクエさんが操作するリミティッド・アニメーションがほのぼの奇妙。
これにエレクトロニクスが加わり、独特の新世界を作り上げている。
ゲストは、ぼくとMark Nauseefさん。
いい音楽ができたと思う。

2010年3月9日火曜日

沖縄で「日本の音フェスティバル」

沖縄の「日本の音フェスティバル」から帰ってきた。
これはJASRAC70周年イベントとして邦楽ジャーナルが企画構成したものだ。
北はアイヌのムックリから、琵琶、笙、篳篥、尺八、琴、三味線、そして沖縄の三線に至るまで
すべての楽器をじかにさわり子供でも演奏できるのが、このフェスティバルの凄いところだ。
コンサートでは坂田明さんやおおたか静流さんたちにまじって、ぼくもステージに立った。
この3人に共通なのは、大きな潮流とかけ離れているという点か。
それが「日本の音」の代表のように出れるところが、このフェスの懐の深さだ。
また
沖縄アジア音楽祭との関連で、モンゴルのオルティンドー、ホーミーや韓国のパンソリも見れた。
西表の石垣金星さんというベテランや奄美の若手前山真吾さんとも知りあえた。
パンソリのイ・ジャラムさんは、ブレヒトをパンソリにするなどなかなかの現代派らしい。
三味線の三糸、ツグカジコト、平敷屋エイサーもよかった。
参加してなかったが大工哲也さんにも会えた。
時間がある時は、琵琶の部屋で、石田克佳さんや須田誠舟さんに琵琶を習えたし、
尺八の遠藤直幸さんとか若い人たちに尺八も習えた。もちろん雅楽にも参加。
なかなか充実した2日間だった。

2010年2月17日水曜日

最後の評議員会

JASRACの評議員会が45年間の幕を閉じた。
法律が変わって
法人として現行法に制度を合わせるためだ。
気がつけば
小林亜星さんの応援のために評議員になって
10年も経っていた。
JASRACは少しは正気を取り戻せたのではないかと思う。

しかし
若い人にもっと会員になってもらわなくては、
音楽出版社中心になってしまい、
JASRACは作曲家や作詞家の団体ではなくなってしまう。
たまに
入会している作曲家が、
異議があっても、JASRAC本体に文句をいわず
他所で愚痴を言っている時には腹立たしく思う。
規模がでかいので遠く感じるのもわかるが
会員資格をもっているなら、少しでも変えられるはず。

自分が変えれるものを変えようとしない者は
何も変えれない。

驚くのは、
会員でもないのに会員だと思い込んでいる作曲家。
これは割といる。
なのにJASRACを辞めたと豪語していたりすると目が点になる。

信託組織は、会計の透明性が問われる。
徴収分配がいかにクリアかだ。

とりあえず一区切り。

2010年2月3日水曜日

音を生き返らせる仕事

マスタリングエンジニアは、マジックを持っている。
この日は「ヒカシュー1978」という
デビュー前夜のデモテープをもとにつくったアルバムのリマスタリング。
実は、この作品同じサイデラマスタリングで1996年にマスタリングした。
しかし14年後のマスタリングは、もっと音を生々しくした。
進歩、技術、耳
いろんなレベルでの違いが面白い。
DSD5.6MHzリマスタリング 聴いてみてください。

2010年1月23日土曜日

味噌を作る。

昨年さぼってしまった味噌作り。
前回は新潟の星六の味噌だったが
今年は妻が生活クラブで用意。
豆をすり鉢でこぐのが一苦労。
はじめるのが遅かったので深夜になった。

2010年1月21日木曜日

サーメ人のヨイクという歌

今年最初のコンサートは、Inga Juuso (インガ・ユーソ)& Harald Skullerud (ハラール・スクレルー)を
湯河原 檜チャリティーコンサートホールに招いてヨイクという独特の歌のコンサート。
当初はSKAIDIというインガ・ユーソさんとコントラバスのスタイナー・ラクネスさんとのDUOの予定だった。
ところがスタイナーさんの双子の子供が病気だということで、急きょハラール・スクレルーさんが来ることになった。

オープニングは、
ぼくと牧野持侑さんのクリスタルボールのDUO。
ぼくはテルミンで静かにクリスタルの音色に寄り添ってみた。
檜ホールの深い残響で、音が溶け合い、海の底にいるような感覚。
続いて インガ・ユーソさんの喉を転がしながらの自然や動物の歌は、
ハラール・スクレルーの素晴らしいサポートで太古の記憶を運んだ。

アンコールはこの4人で即興的に音を紡いだ。
溶け合うような至福の時間。


2010年1月3日日曜日

初詣

雑煮ほど地方で違うものはないらしいが、
雑煮は新潟県、母の実家のものが好き。
で、
今年は播磨地方に来ている。
かつめしというのがあるらしいが、
まわりの誰も食べたことがなかった。
初詣は、
安産の神様の日岡神社に行く。
おみくじは大吉。
風吹けば風吹くままにとのこと。


2009年12月26日土曜日

ヒカシュークリスマスミーティング

こんなに楽しい日はなかった。
ヒカシューとかつてのヒカシューメンバー
そして近田春夫に「エレクトリックラブストーリー」を歌ってもらった。
ヒカシュー30周年記念の素敵な締めくくり。

写真は近田さんがうたっているところ。
撮ってくれたのは、ヒカシューにはじめてファンレターをくれた野々村くん。
それも近田さんの番組に送ったはがきだった。


写真 野々村文宏

2009年11月23日月曜日

This is it!を観た。

マイケル・ジャクソンが天才なのは
ベンジーの頃から知っている
よくまねしたあの高い声

This is it!

スリラーもバッドも
ほんとに何回もみたけど
とてもまねできないあの踊り

This is it!


ぼくはこんなでかいショーにはいつもうんざり。
みんながマイケルにへつらっていてやりきれない。

This is it!

2009年11月20日金曜日

前歯

10月のロフトでのセッティングの時に、
コードのプラグが歯にあたって前歯が欠けた。
それを1ヶ月もたって歯医者にきたが、
わがかかり付けのインドネシア人の歯医者さんは、
「ああ、大丈夫ですね」と
欠けた歯の長さに隣の歯を削り揃えた。
全体に前歯が短くなった。
果たしてこんな治し方でよかったのか。

そんなに印象がかわっていないのでよしとしよう。

2009年11月17日火曜日

湯河原で三田超人とレコーディング

「鯉とガスパチョ」を10月に出せたものの、
年内あと2枚はさすがに無理だ。
今日は三田超人が湯河原。
他のメンバーは成城学園のIGO studioでの変速レコーディング。
今回WelsやOsloで浮かびまくった「ニコセロン」とか「ユウトリウス」に
オーバーダブしてまとめるという作戦なのだが、
三田と録音したものを次々ににIGO studioに送っていった。
IGOstudioは、夕方の段階でまだセッティングをしていた。

2009年11月12日木曜日

ヴェーベルンの家のすぐ近く

オスロ発7時の飛行機なので4時起き。
外は0度くらいか寒い。
ごろごろとスーツケースを転がし歩いてAirport Expressに乗り空港へ。
チケット間違えて在来線のを買ってしまい、降車駅で手続き。
オーストリア航空332便でウィーンまで。
ウィーンー東京の飛行機まで時間があったので、
ウィーンの内橋和久宅へ。
内橋君の家の2軒隣がアントン・ヴェーベルンの家で驚く。
清水一登とれいちのAreposを思い出さないわけにはいかない。
ラテン語の音列の魔法陣を引用し
「原音列、その逆行、反行、逆反行は同価である。」
と説いたヴェーベルンの家である。
ぼくはあの音色の変化とスピードが好きだ。
かなり古いエレベーターを昇り内橋家に着くと
鳥の煮込みスープで歓迎してくれた。
この日は娘さんの誕生日で誕生会の準備中だった。
くつろぐ間もなく、空港に舞い戻り、東京行きの飛行機に乗った。
慌ただしかったが、訪問できてよかった。

2009年11月11日水曜日

オスロ

9日の早朝ホテルをチェックアウトして、
シルヴィーやシェイナ、写真家のピーター
ジーナの姉妹のサラとマーガレットたちとバンに乗って
ミュンヘン空港へ。
早く着きすぎて、時間を持て余した。
スカンジナビア航空SK1666でまずコペンハーゲンへ
SK460に乗りかえてオスロに到着。
Airport Expressに乗ってナショナルシアター前で下車。
オスロは未来都市のように洗練されている。
Victoriaというジャズクラブでトーベンというサックス、ショーレンというピアニスト
そしてトーマスとのライブ。ミキサー卓を見ると最新式で輝いていた。
このクラブはいい空気で快適。
リハの後、Tabibitoという名のレストランへ。
入り口で名前見たときは、日本料理と思ったのだけど、
チャイニーズフュージョンだった。
結局チャーハンを注文した。なんて久しぶりのライス!

10日は何もなく、ホテルを移動。
地下鉄に乗って、ムンクミュージアムに行った。
途中、ノルウェイのセーターを子供のために買った。
サイズが合うといいのだけど。
この日、ムンクミュージアムは入場料無料の日。
「叫び」を見ることができた。
「叫び」橋の上で叫んでいるように見えるのだけど
本当はいろんな叫びが聞こえて耳を塞いでいるのだそうだ。

11日は、朝曲作り。ニコセロンという曲が完成した。
午後、クルマでまず郊外の美術館に行った。
クルト・シュビッターズのノルウェイ時代展というのを開催中だった。
いいものにあたった。
ナチから逃れたシュビッターズはノルウェイにいたのか。
この美術館のレストランでランチをしたのだが、3000円近くもした。
お茶碗一杯分くらいの小さなリゾットだった。さすがに物価が高い。
一路、1時間くらいいったトンスベルグという町へ。
途中「叫び」のあの橋があるというので楽しみにしていたが
トーマスが止まるのを忘れてしまって、ライブ会場に到着。
小さいながらもジャズフェスティバルだった。
ここでまかないがでたのだけど
鮭のソテーと白いご飯といううれしいメニューだった。
トーマスとトーベンは鮨を注文。
醤油が麺つゆのお椀に入っていたのには驚いた。
なにかが間違っている。

2009年11月6日金曜日

Wels Unlimited 23いいフェスティバルだなぁ。

Wels Unlimited 23の幕開けは、コブラだった。
客席は300人ほどか。満員だ。
若者から年配の人までいる。

フィル・ミントンとウテ・ヴァッサーマンのいるスピークイージー。
ウテさん、1994年に日本に来た時共演したことがあったっけ。


楽屋もなかなか楽しい。

2009年11月5日木曜日

オーストリアでコブラのリハーサル

John Zorn選りすぐりのメンバーが揃った。
本日はリハーサルのみ。


舞台左から
john zorns cobra „wels operations“
sylvie courvoisier ピアノ,
ikue mori エレクトロニクス,
noid haberl チェロ,
shayna dunkelman パーカッション,
fred frith ギター,
chris cutler ドラムス,
okkyung lee チェロ,
kazuhisa uchihashi ギター,
tony buck ドラムス,
david watson ギター,
maja ratkje 声 エフェクト,
zeena parkins 電気ハープ,

makigami koichi  プロンプター

初めての人が4人。知っている人が多いだけに、細かい確認が必要になった。






2009年11月4日水曜日

ウィーンから小型機に乗って

ウィーンから小型機に乗って、45分でリンツ空港に到着。
そこからクルマで30分ほどでヴェルスの町に着く。
フェスティバルが予約したHotel Greifにチェックイン。

ほっと一息ついているとイクエさんから電話があった。
近くのレストランでジーナや主催者のウォルフガングと食事をしているという。
行ってみるとそこはビアレストランで、演奏付きのにぎやかな場所だった。
名前はGÖSSERBRÄUという。
11月1日から解禁になったグースの料理があるとのことでそれを注文。
Martini Ganslというもので、「マルティンのガチョウ」というそうだ。
おいしいけど、量が多くて半分しか食べれなかったのが残念。
店のオーナーがホイリゲ(ワインの新酒)もごちそうしてくれた。

ヴェルスの町には、イクエさんのポスターがいたるところに貼られている。

2009年10月30日金曜日

ヒカシュー渋谷クアトロ

ヒカシュー渋谷クアトロは、
ジューシィ・ハーフのとても素敵なステージではじまり、
企画して本当によかった。
いきいきとしたものがよみがえり、弾けていた。

そもそものはじまりは、
イリアがアマチュアの合唱団にいて、
高橋悠治のパーリ語の合唱曲のこことで
連絡してきたことだ。
どうも曲を短くしたいということらしいのだが、
それで連絡先を教えてあげたりした。

そこで最近ジューシィ・ハーフというのをやっているという
ニュースを耳にして、
ぜひクアトロのヒカシュー公演に出てほしいとお願いしたのだ。
すぐに快諾はしてもらえなかったが、
悩んだ末のいい返事をもらえた。

結果
ジューシィ・ハーフの魅力的なステージが目の前で実現した。
イリアは、声もギターも出で立ちも、デビュー時のものをすべて持っていた。
トシは、ステージ上で自分が参加しているヒカシューの1stと2ndを宣伝してくれたり、
いつものいいやつぶりを発揮していた。
また
ベースのジェフ氏 ギターのAkishiro氏という好サポートを得て
瑞々しさが際立っていた。

ヒカシューは、三田超人のへんてこダンスからはじまった。
それはステージに登場する30秒くらい前に決まったが
すぐにやってくれるフリーマンは偉い。
途中息切れしてこっちにでてくれと懇願しているフリーマンが見えたので
さりげなく出て行きステージをはじめた。
会場はジューシィ・ハーフが作ってくれた素敵なオーラが満ちあふれていて
会場に一体感があったので、とてもやりやすかった。
応援してくれる人が一人でも多いと、うれしいのが人情である。

この日は
ヒカシューとジューシィを世に出した近田春夫氏も招待した。
ちょうど近田さんがロングインタビューを決行中の裕也さんも
なぜかかけつけてくれた。

アンコールも3回。
楽屋に裕也さんが来て、なにかただならぬオーラをだしていた。
裕也さんは当日券を買って入ってくれたらしい。

裕也さんは
「ヒカシューはやっぱフランク・ザッパ(マザーズ)だな。寺山とも共通のものを感じるよ」
30年前にも言われたことを繰り返してくれた。
これもやけにうれしかった。

12月には近田さんと相対性理論にゲストに来てもらうことにした。

これシリーズ的に続くと面白いなぁ。
ジューシィにもまた来てもらいたいし。

たくさんのすばらしい友だちも来てくれてうれしい一夜だった。

トゥバクィズィ来日公演からヒカシュー



トゥバクィズィ9年ぶりの来日。
彼女たちの上達ぶりに感心した。
9年前は、不安でアンドレイやナデージダ・クーラルをゲストにしたことを思い出す。
しかし、いまもうそんな不安はまったくないすばらしいステージができるグループに発展した。
東京公演と名古屋の入りが悪くて赤字になってしまったのが実に痛いが
今後につながるいいステップになったと思う。


その彼女たちの公演が続いてる中
ヒカシューのツアーがはじった。

2009年10月3日土曜日

スペインから帰りました。

はじめてのスペインから帰って4日経った。
思い出します。
マドリードの空港からタクシーでアトーチャ駅近くのホテルへ。
チェックインして、眠いのをこらえ、高円寺百景を観にライブハウスに行く。
スペインでは挨拶はみんな「オラ」ですましているようだ。
次の日、スペイン浪越指圧のたけしさんがロビーに来てくれて、散歩。
なぜかセファルディの写真展などを見て、浪越指圧の小野田先生に会う。
近くでお昼。はじめてのガスパチョ。
小野田先生の案内でマドリード観光をさせてもらう。
たけしさんに指圧を受ける。
首のコリを実感。
夕食は、イベリコの生ハム専門店で。またもガスパチョ。
次の日、ホテル近くのソフィアアートセンターでゲルニカを観賞。
この日もガスパチョ。
24日、電車に乗り3時間半、カセレスへ。
カセレスは白壁の町。そのはずれにウォルフ・フォステルのミュージアムがある。
彼はフルクサスのメンバーだった。
廃棄されたクルマ、テレビを使ったインスタレーションは強烈。